0歳から5歳まで住んでいた場所に到着。
少し個人的な思い出のある場所も撮影。
広い道路(新府中街道)を建設中で、街の風景が一変してしまった。
一、所在地 国介寺市日吉町四-十一-十四
一、境內面積 二百二十二坪(七七三平方米)
一、社殿 間口三間(五四米)與行二間半(四五米)本杜拝殿造込
一、祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
一、由緒 享保十九年(1734)に近江国現滋賀県)日吉山王宫を勧請して建立された。 明治二年(1869)內藤神社と改称され、同八年村社に列せ
られた。 現在の社殿は、明治二十六年(1869)に建てられだもので屋根は昭和五十八年(1983)にトタン葦から銅板に暮替られた。
祭神である大山昨命は素戔嗚尊の御孫に当り開拓の神として、又安産の神としても宏く崇敬されている。
一、祭例日 九月十九日
大日如来堂
大日如来の由来
この大日如来は高杉六兵衛が内藤新田に入村して間もない享保八年(1773)三月に建立したものである
六兵衛は名主内藤氏の養成を埋めて当村に入植、その開村の功により高杉家は代々組頭(年寄)役を務めた
六兵衛は深く仏教に帰依し村の発展を願ってこの大日如来を造立したが明治初年の神仏分離により内藤神社本殿から当処に安置された
ここに往時を偲び一宇を建立してその由来を記す
殉難の碑
明治三年社倉積立金の徵収に反対して十二ヵ村の農民が蜂起した社倉騷動(御門訴事件)の折内藤新田組頭高杉六兵衛は同年四月品川県役所に捕えられ同月十七日狱死した
村民のために一身を捧げた祖先六兵衛の御霊安かれと念じ殉難の碑を建立する
神楽殿
享保十四(1929)年戸倉新田が開発された時、此の里の鎮守として、東京都西多摩郡五日市町(現在のあきるの市)戸倉の三島神社を勧請、山王大権現として鎮座。
明治二(1869)年に戸倉神社として改称した。
正一位稲荷神社
鳥居脇のソメイヨシノ
◆大竹荘跡
この歯医者さんの隣に大竹壮というアパートがあり、0歳から5歳まで住んでいた。
歯医者さんは住んでた時からやっていた。
こちらすぐ隣の八百屋さん。
閉まってる?
やめちゃったかなあ??
こちらも住んでた頃からある。
◆中央マート(?)
こちら右側の工事中の所に3つか4つくらいの個人商店が一緒になったちょっとしたスーパー?があった。
名前はごめんなさい、違うかもしれません。
誰か正確な情報をご存知でしたら教えてください。
電気屋さんだけ、すぐ近くに引っ越して営業していた気がする。
今度行ったときに聞いてみようかなあ。
続く。