2020/04/02 中目黒散歩 01 新木場駅前/恵比寿駅/恵比寿駅前通り商店街/道しるべ/馬頭観世音/目黒新富士跡/庚申塔

24時間勤務アケで、新木場駅前の写真を再撮影。
この前は天気が悪かったもので・・・・・・。



その後は恵比寿駅から目黒川、代官山付近を経由して恵比寿駅に戻る。



この日記のエリアは恵比寿駅から目黒川まで南西に向かって歩く。



◆恵比寿駅


駅前広場



◆恵比寿駅前通り商店街

中は通らなかった。



◆道しるべ




 江戸時代中期の安永八年(1779)に建てられたこの道しるべは、中央に南無阿弥陀俳、その右側にゆうてん寺道、左側には不動尊みちと書いてあります。ゆうてん寺道とは、目黒方面から別所坂を登り
麻布を経て江戸市中へ通じる最短距離の道、不動尊みちとは、目黒不動へと続く道のことです。そして台座には道講中と刻まれています。このことから単に道路の指導標というだけではなく、交通安全についても祈願し造られたものであると考えられます。この地域は江戸時代、渋谷広尾町と呼ばれた小規模な町並みが存在していただけでした。町並みから外への道は、人家も少ない寂しいところであったため、このような宗教的意味をもった道しるべが必要だっ
たのでしょう。



こちらgoogle map には載っていなかった。



◆馬頭観世音




 このお堂に、馬頭観世音菩薩がおまつりしてあります。縁起によると、享保四(1719)年、このあたりに悪病が流行し、これを心配した与右衛門という人が、馬頭観音に祈って悪病を退散させました。
そのお礼に石で観音をつくり、祐天寺の祐海上人に加持祈薩を願い、原(当時、このあたりを原といった)の中程へ安置した、と伝えています。そして村の人は毎年ニ回、百万遍念佛をえ祈願をしたので、その後、このあたりに悪病は流行せず、住民は幸福にくらしたとのことです。
 この道は目黒・麻布を経て江戸市内に入る最短の道で、急な別所坂をおりると目黒川が流れ、すぐ近くに正覚寺があります。別所坂上には、庚申塔(六基)と、広重が江戸名所百景に画いた「目黒新富士」などの旧跡があり、昔の主要道路であったことがわかります。







◆目黒新富士




 この辺りは、昔から富士の眺めが素晴らしい景勝地として知られたところ。江戸後期には、えぞ・千島を探検した幕臣近藤重蔵が、この付近の高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造。目切坂上の目黒 ,元富士"に対し、こちらは "新富士"の名で呼ばれ、大勢の見
物人で賑わった。
 平成3年秋、この近くで新富士ゆかりの地下式遺溝が発見された。遺溝の奥からは石の祠や御神体と思われる大日如来像なども出土調査の結果、遺溝は富士講の信者たちが新富士を模して地下に造った物とわかり「新富士遺跡」と名づけられた。今は再び埋め戻されて、地中に静かに眠る。



庚申塔

目黒新富士跡すぐ近く。



 「庚申塔」は、庚申を信仰する庚申講の仲間たちが建てたものである。仲間たちは60日に一度くる庚申の日に、眠ってしまうと、「三尸」という虫が体から抜け出し、天の神に日頃の悪事を報告され、罪状によって寿命が縮められるので、集まってその夜はらずに過ごしたという。
 江戸時代には、豊作や長寿、家内安全を祈るとともに親睦や農作業の情報交換の場ともなり盛んに集まりがもたれた。庚申講の仲間たちは3年、18回の集まりを終えると共同で庚申塔を建てた。形や図柄は様々だが多くは病気や悪い鬼を追い払うという青面金削像、その他に三匹の猿や日月、二羽の鶏が彫られている。
 別所坂上庚申塔の昭和引年の調査では、紀年銘、寬文五乙巴天~明和元年(1665~1764)である。






続く。