2020/04/04 大井散歩 01 京急立会川駅/立会川商店街/立会川竜馬通り繁栄会/立会川の坂本龍馬像/北浜川児童遊園/仲町稲荷神社/浜川橋(涙橋)

24時間勤務アケで、京急立会川駅からJR西大井駅まで歩く。



この日記のエリアは、立会川駅から東側のエリアを散策。
以前歩いたことがあるエリアだ。

2017/03/05 part2 品川散歩 白玉稲荷神社/花街道/浜川砲台/天祖・諏訪神社/竜馬像/仲町稲荷神社/泪橋 - ovanの社会科見学





京急立会川駅

スタートの京急立会川駅








◆立会川商店街

中は通らなかった。




◆立会川竜馬通り繁栄会






◆立会川の坂本龍馬



 嘉永6年(1853)黑船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835-1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。
 当地は後に海運貿易の亀山社中の設立・薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた龍馬が志を立てたゆかりの地と言えます。
 地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと同じ姿の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、近頃の時代の閉塞感とあいまって、龍馬の事績に思いを致す人々の、ブロンズ像であればとの強い願いを受けて、東京京浜ロータリークラブは関係者と密に語らい議って、二十歳の龍馬像としてこれをここに建立したものです。
 なお、この像には、平成11年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。


龍馬が世界と出会ったまち品川
 ペリーが初めて来航した嘉永六年(1853)、一九歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術修行中でした。
 土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)警備のため、江戸詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。
 同年九月には「異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、其節は異国の首を打取り,」と、父親に手紙を書いています。
 品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。





◆北浜川児童遊園

この公園入口に竜馬像がある。
奥に写っているのが次の仲町稲荷神社。


こころざしの馬




仲町稲荷神社






◆浜川橋(涙橋)




浜川橋
 立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。
 この橋が架けられたのは、德川家康が江戸入後の1600頃と思われます。
 現在の橋は、 昭和九年(1934)に架け替えられたものてす。

涙橋の由来
 慶安四年(1651)、品川にお仕置場(鈴ケ森刑場)が設けられ主した。こくで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内か処刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながど 別れたということから、「涙橋」と呼ぼれるよう になりました。




下は立会川だとおもっていたが、『勝島運河』という運河と地図には出ている。
ものすごい色の水で、水質悪そうだが、魚や亀が泳いでいるのが見えた。






続く。