◆京急高架
京急線の反対側へ。
そういえばこのブルーの電車は滅多に見ないなあ。
◆磐井神社
式内社(しきないしゃ)と呼ばれる古い格式をもつ神社である。『三代実録(さんだいじつろく)』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位下磐井社官社に列す」とあり、 この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式(えんぎしき)
』の神明帳(しんめいちょう)に記載されている。
別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も 参詣したことが記されている。
万葉集の「草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、 ここの笠島弁天を指したものという説もある。
笠島弁天社
神楽殿
鈴石(すずいし)・烏石(うせき)(非公開)と江戸文人石碑群
鈴石は、社伝によれば、延暦年間(782~806)に武蔵国の国司であった石川氏が奉納した神功皇后ゆかりの石とされる。これを打つと鈴のよ
うな音がしたことから、「鈴ケ森」の地名の由来となったと伝えられる。
また烏石は、鳥の模様が浮き出た自然石で、江戸時代の書家、松下烏石(?~1779)が寄進した。鈴石・烏石は、ともに屋内に保管されている。
江戸文人石碑群は、この鳥石の寄進の由来を記した烏石碑をはじめ、松下烏石の門人等が建立寄進したもので、向 かって右から次のように並んでいる。
狸筆塚 文化六年(1809)
復(=退)筆塚 天明六年(1786)
竹岡先生書学碑 寬政八年(1796)
烏石碑 元文六年(1741)
これらは、かつて弁天池周辺にあったが、神社の境内整備に伴って現在地に移された。
◆磐井の井戸
磐井神社のすぐ前にあった。
この井戸は「磐井」と呼ばれる古井戸で、社名の 由来となっている。東海道往来の旅人に利用され、 霊水又は薬水と称されて古来有名である。
この位置はもと神社の境内であったが、東海道 (現第一京浜国道)の拡幅により、境域が狭められ たため、社前歩道上に遺存されることになった。
現在飲むことはできないが、土地の人々は「この 井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪(よこしま)ならば塩水」という伝説を昔から伝えている。
◆大森海岸児童遊園
磐井神社境内の一部が公園となっている。
◆京急高架
この高架をくぐってまた反対側へ。
この前後ツツジが綺麗に整備されていて綺麗だった。
続く。