2020/05/07 戸越散歩 05 下村踏切/地蔵堂/杜松小学校創立之地/東光寺/大盛湯/二葉神明商店街/下新明天祖神社

下神明駅には向かわず、下村踏切でJRの線路東側に出る。
電車の通行量が多く、大井町線と新幹線の高架を通る電車の音が絶えず聞こえてくる。



◆下村踏切









地蔵堂





◆杜松小学校創立之地




WEBで調べるとここに杜松小学校があったとのこと。
小中一貫校豊葉の杜学園となり、移転した。
杜松小学校閉校式 小中一貫校豊葉の杜学園へ|品川区




◆東光寺


山門



参道入口




村より町へ
昔は東京府荏原郡平塚村大字下蛇漥と称した
昭和七年に市制が引れて束京市荏原区神明町となった
昭和十六年四月一日より束京都荏原区二葉町となり
昭和廿三年旧品川区と合同して新しい品川区となる
現在
東京郁品川区二葉一丁目十四番十六号



◆大盛湯




銭湯♪



◆二葉神明商店街

商店街♪





この通りの名は「三間(さんげん)通り」




◆下新明天祖神社




江户中期に編纂きれた幕府官撰地誌新編武蔵風土記稿」には上下の神明社勧請の年歴は不明とあるが、御神木であるカヤは樹齢600年を越えており社も室町時代には在ったと想される。同風土記稿中の「正保年中改定図」に下神明の元である下蛇窪の記が初めて見られることから正保元年の前年である1643年に上下の村が分かれたとして昭和58年に両社で340年祭が斉行され、以降十年每に式年大祭が行われている。当社が御祭神を迎え神明社として鎮座したのは分立時に流布していた伊勢・八幡・春日の三神を祀る三社託宣信仰に依る。現在では区内最大の御神木、最大の狛犬、最長の参道などを有し神社を中心に雅楽の稽古が盛んに行われるなど伝統文化雑承にも力を入れている。

由緒追記
昨年、氏子有志歴史研究会が村や当社の興りについての検証経過を公表。それに依ると十五世紀に藤原秀郷の末裔を頭をする一族が常陸国より遣わされて此の地を開墾。村の東高台に先祖神・天児屋根命を祀る社を建てたとの伝えが子孫の家に残る等、樣々な事柄が判明。
依って当社の元は春日社で江戸初期に天照大神応神天皇を迎え神明社となったと考えられる。現在も品川歴史館主導で氏子内旧家に伝わる古文書の調査が進められている。


狛犬

昭和七年の東京市郡合併により解散された荏原町消防団消防組第五部の偉業を記念して、その足跡を刻み昭和八年二月に奉献された。建立時の写真からも同部の隆昌が読み取れる。体高1.4m、総高4mは区内最大。



小一郎稲荷社



  村を開墾した名主の屋敷神であったと伝わる。 元の鎮座地は名主の家の巽隅(南東)にあたる立会川縁(二葉2-4)で、同じく同家の乾隅(北西)に 祀られた戸越伏見稲荷社(戸越公園駅近く)と対を為すものである。 その後、慶徳三年に厳正寺跡地(二葉2-1付近)に遷され、明治四十二年には品鶴線敷設などの耕地整理に伴って天祖神社境内に選された。 立会川縁の旧跡には現在も石碑が残されている。

小市郎稲荷祠碑文 一解說・品川歴史館学芸員
村始り稲荷社前旧跡にして寛文八戊申年旱魃の 節雨を祈りしに其跡あり、此辺を西耕地といへど も里俗に小市郎乃田場と唱えたり






斎田




稲を担う神を把る稲荷社前の浄らかな場所に設けられた神田で、稲荷社崇敬会である神明稲荷講春季大祭にて田植を行い、秋季大祭にて抜穂を行っている。 刈り取られた稲は神社例祭時に社殿、神酒所、神輿に捧げられる。



楽殿



御神木



目通り幹周3.9mは榧(カヤ)としては区内最大樹木
樹齢六百年以上

 境內の木々は全て御神木と考える場合もあるが、一般的には中でも神聖視されている木を御神木とする事が多い。
 二葉交番裏(伝,嚴正寺跡地)には兄弟木と言われた椎があった(戦後伐採)




鳥居1


鳥居2




続く。