2020/05/17 品川小山散歩 05 親友会/朝日地蔵尊・寛政元年銘石造道標/武蔵小山温泉清水湯/あさひ公園/戸越地蔵尊/武蔵小山商店街

ほぼ東急目黒線沿いに南西に進む。
武蔵小山商店街はたくさんの人が居た。


◆親友会




◆朝日地蔵尊・寛政元年銘石造道標




 寛政元年(1789)目黑道 と碑文谷道との交叉点に建てられた高さ約1メート ル の 道標で、江戸時代多数の参詣人を集めた目黑不動尊と、碑文谷仁王尊への行先を示したものである。 造立者は江戸の商人や職人たちで、願主は即應(そくおう)である。
 昭和三十一年道路改修のため僅かながら移動され、左右方向が反対になった。
 なお堂内左奥にある小さな道標は、明治三十四年に建てられた摩耶寺への案内である。






武蔵小山温泉清水湯

銭湯♪



銭湯好きの細君に話を聞いてみたら、一度行ったことがあり、かなり良い銭湯だったとのこと。



◆あさひ公園



旧・讃岐丸亀藩京極家抱屋敷跡

 このあたりから東へとひろがる三角形の一帯は、 讃岐国(現・香川県)丸亀藩の「戸越屋敷」と呼ばれた抱屋敷跡で、敷地は約8千4百坪、寛文
6年(1666)2代高豊(たかとよ)の時に取得した。野菜や薪をここから上屋に供給していたため、地元農民と京極家は結びつきが強かったと伝えられ、明治初年にこの地が京極家の手を離れたのちも、屋敷内にあった京極稲荷神社は地元有志によって祀られている。
 安政2年(1855)頃の丸亀藩主京極佐渡守朗徹(あきゆき)は5万石の家禄があり上屋敷虎ノ門外(現·港区虎ノ門)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの



水車のモニュメント




 あさひ公園の前の道路には、かつて「品川用水」が流れていました。この用水は、玉川上水から分水して荏原付近の農業用水として利用さ
れていました。その「品川用水」をイメージするものとしてここの水車のモニュメントを作りました。





◆戸越地蔵尊



中原街道供養塔群(二)

 旧中原街道は江戸虎ノ門より相模国平塚に至る道路で、かつては東海道に並行した脇街道として旅行者や物資の輪送に利用された。
 本供養塔群は旧戸越村地内の旧中原街道に沿った所に六基存在する。寛文六年(1666)延宝元年(1673) 宝暦四年(1754)造立の庚申塔、古来子育地蔵と呼んで信仰される造立年代不明の大きな地蔵、風化甚だしく銘文不明の供養塔、髭題目が刻まれた寛文二年銘(1662)の石造墓碑がある。これらの供養塔群は旧街道時代の状態がよく遺され、江戸期の街道の面影を伝えるものとして、 また戸越村・桐ヶ谷村の民間信仰を今に伝える
民俗資料としてその価値が高い。



(一)はコチラで行っている。
2020/05/04 荏原散歩 04 荏原金刀比羅宮/旧中原街道供養塔群(一)/子別れ地蔵/中原口歩道橋/西五反田歩道橋/地蔵尊 - ovanの社会科見学
















武蔵小山商店街

商店街♪
人でいっぱいだったので、写真だけ撮ってササッと逃げた(w







安くて美味しそうなお店見っけ♪
コロナがあけたら来たいなあ。




アーケードの外にまで商店街が広がっていた。





続く。