2020/05/21 碑文谷散歩 05 東急東横線高架/碑文谷公園/東急東横線高架/公園通り/西口商店街/学芸大学駅

碑文谷殿山跡から東急東横線の高架をくぐって碑文谷公園へ。
公園からは線路沿いの商店街を進んで東急東横線学芸大学駅でゴール。



東急東横線高架

こちらを通って線路の反対側へ。




◆碑文谷公園



五穀の実りもたらした碑文谷池

碑文谷公園は目黒区内でで最も古い公園の一つ。ボート遊びが楽しめる公園として人気が高い。
 園内の弁天池は広さ約0.8ha。江戸の昔から昭和の初めまで、この池は碑文谷の村民に五殺の実りをもたらす瀧概用貯水池として大切に管理された。一時は村の財政難を理由に池の売却案も出たが、村人の反対で廃案に。昭和7年、目黒区の誕生を機に東京市に寄贈され公園になった。
 池の中の厳島神社には極彩色の小さな弁天様が祀られている。



碑文谷公園記

 この地は元碑衾町碑文谷の共有地であって園の半を占むる池は碑文谷池又は三谷池と称え、立会川の源をなし旧幕府時代は鴨池とされしと伝う。
 近時は専ら下流一帯の水田灌漑の水源として重用せられた。池は右へより各々部落選出の池総代により管理せられ其維持は地元人々の奉仕によれり。現存する白樫の並木は今より約60年前植栽せられ池と共によく愛護され今日に至る。
 昭和7年10月1日市域拡張に際し挙けて公園地とし本市にせられ新市域公園の先駆となる。
 本市はこの沿革を尊重し永く保存管理し郷土の人々の芳志を後世に伝えんとす。



碑文谷池

 この池は立会川の水源です。もと、碑文谷村の村持 (共有地) で、昔は土地の字名をとって"三谷の池”と呼ばれていました。
 江戸時代には野鴨が多く将軍の鷹狩り場でもありました。その後はもっぱら下流一帯の水田灘湛の重要な水源として古くから部落選出の
池総代により管理され、地元の人びとの奉仕によって維持されてきました。
 池の中島に厳島神社があり、江戸時代にこのあたりを知行していた旗本神谷氏が奉献した弁財天像が安置されています。
 昭和7年10月、東京市に寄付されて公園となり、その後昭和25年9月に再び目黒区に移管されました。











厳島神社(弁財天)

 この神社の創建は戦国時代と伝へられ祭神は市杵嶋姫命で古来から水の神火の神として信仰されております。江戸時代に約二百五十年間碑文谷を知行していた旗本神谷氏の信仰が厚く嘉永元年(1848)9月十代神谷正庸氏(大夢)奉献の弁財天像が本殿に奉安されております。
 商売繁昌、子孫長久、病気平癒や開運、諸願成就の霊験あらたかで広く皆様に親しまれ信仰されております。毎年4月15日に例大祭を、12年に1度の巳歳に大祭がとり行われます。










ポニー公園



隙間からしか見られなかったー(涙








東急東横線高架

たまたま電車が通ったので撮った。




◆公園通り




鷹番という住所にビックリ。
調べると「御鷹場」に由来するみたいだね。
目黒区のHPに詳しく載っていた。
目黒の地名 鷹番(たかばん):目黒区公式ホームページ






◆西口商店街









学芸大学駅




ゴールの東急東横線学芸大学駅


今回はものすごく寒かった(w
半袖だったのが失敗・・・・。
体力に余裕があったらこのまま三軒茶屋まで行っていたかも。
平坦で歩きやすかったしトイレも多いので散策するには良い場所だね。