2020/05/26 中目黒散歩 05 目黒区民センター/田道庚申塔群/目黒区民センター屋外プール/目黒区美術館/十七ヶ坂庚申塔/十七ヶ坂/馬喰坂上の庚申塔群

目黒川少し南側をほぼ川に沿って北西に進む。


◆目黒区民センター







◆田道(でんどう)庚申塔






 この前の道は麻布· 青山方面と目黒不動を結ぶ古くからある道で、その道の脇に庚申塔 6基と、地蔵尊を刻んだ念仏供養塔 1基が並んでいる。各庚申塔には青面金剛・日月・二鶏・三猿などが浮彫りされ、造立年代は延宝5 (1677)年から正徳3(1713) 年にかけてのもので、田道庚申講中の氏名も明確に刻まれている。ここにある庚申塔は大型で保存状態や作柄も良く、江戸時代中ごろから農村で盛んになった庚申信仰を知る上で重要な資料である。 庚申信仰とは60日ごとにめぐってくる庚申の日に青面金剛の掛軸などをまつり、会食懇談しながら徹夜する民間信仰であった。








◆目黒区民センター屋外プール

なんだか楽しそうなプール♪





目黒区美術館

コロナウィルス感染拡大防止のため休館中。




◆十七ヶ坂庚申塔






 江戸時代の農村では庚申信仰がさかんで各集落に講があり、その寄進で庚申塔が建立されました。
 庚申塔には、青面金や三葉、 年号、建立者名などが刻まれていて、村の歴史や人々の生活などを知るための貴重な資料です。
 この庚申塔は前の十七が坂上にあるので「十七が坂上庚申塔」と呼んでいます。
 墓地の中でひと際目立ち、高さ2メートル余もある宝篋印塔(ほうきょういんとう)型の庚申塔は、寛永3年(1625)に建立されたもので都内でも古いもので菅沼一族8名の名があります。また、 この塔の前の板碑型庚申塔には明暦3年 (1657)の年号と、その下に17人の建立者名が刻まれています。その筆頭者に「権之助」の名前が見られますが「権之動坂」の名のおこりになった菅沼権之助ではないかと言われています。




◆十七ヶ坂





ほとんど消えてしまっているので、WEBで調べた。
『この坂のあたりに 戸数十七軒からなった集落があったので,十七が坂 とよぶようになったといわれる。また,この坂ですべってころぶと,十七才になった時,災いが起こるという言い伝えがあった。』
とあった。






◆馬喰(ばくろ)坂上庚申塔




 60日毎に巡ってくる庚申の日に当番の家に集まって青面金剛を祀り、長寿や豊作を祈って飲食をともにしながら夜を明かすという、庚申待が江戸時代の農村では盛んに行われていました。 庚申待を3年18回終えた時に建てられたのが、庚申塔です。
 庚申塔群の向かって右から二番目の板碑型碑は、延宝8(1680)年の銘があり、下部に三猿を浮彫りにし、願文がなく戒名だけが刻まれている珍しいものです。一番右の駒型碑は宝永7(1710)年、 三番目の駒型碑には宝永3(1706)年の銘があり、ともに合掌六腎(がっしょうろっぴ)の青面金剛と日月、二鶏、三猿が浮彫りにされています。一番左の駒型碑は、寛保2(1742)年のもので、三猿は小さく、日月を包む瑞雲が八字形の庇(ひさし)を形作っています。












続く。