2020/05/26 中目黒散歩 06 馬喰坂/とちの木庚申/谷戸前川緑道/菅沼権之助の墓/藤の庚申と庚申道/なべころ坂緑地公園

ここでも目黒川のやや南側を川沿いに北西へ進む。



◆馬喰坂

坂上




 馬の鑑定や売買を行う馬喰(博労・伯楽)と関連させる説と、風雨にさらされて地面に穴のあいた状態を目黒の古い方言で「ばくろ」といったという説がある。





◆とちの木庚申




 栃の木の下にある庚申塔であり、この名前で親しまれている。昭和の初め頃に現在は歩道となっている谷戸前川で発見され、土地の人により現在の場所に設置されたという。
 風化が激しく、寛政十成午十一月 (1798年)という設置時期と正面には「庚申以下不明」右面には「中目黒村抽道」という文字がかろうじて見られるが、それ以上の詳細は不明である。
 庚申信仰は60日に1度巡ってくる庚申の集いを3年 (18回)実施するとその記念に建てたもので、かつてこの地域にも庚申信仰があったことを物語る歴史資料である。






谷戸前川緑道







◆菅沼権之助の墓

周りはお墓だらけでお堂がない。




 菅沼権之助は、元禄の頃の中目黒田道に住み多くの人々に慕われていた名主です。
 その頃、行人坂の急峻な坂路の街来に苦労している人達を見かねて、捉を破り幕府の許可を受けずに“新坂” を切り開いたので処刑されたと言われています。 その行動は人々に惜しまれ、今も「権之助坂」の坂名にその名が残っています。
 権之助の墓はこの奥の墓地に建っています。 墓石には「元禄十年八月廿五日、月桂光秋霊」(1697)というさわやかな戒名が刻まれ、郷土
目黒の偉人として今も香華が絶えません。





◆藤の庚申と庚申道




 小堂にある2基の庚申塔は古くから「藤の庚申」と呼ばれています。 昔、 ここに藤の大木があったことからつけられた呼称で、今も碑の横に藤の木があり、春には美しい花をつけます。
 左側の駒型の碑は1m以上もあり、合掌六腎(がっしょうろっぴ)の青面金剛や三猿などの図柄が彫られています。また、「為両親二世安楽也」という願文や造立された年月を示す「貞享元甲子年十月下旬」(1684年)の文字が刻まれています。
 右側の小さな板碑型のものは元禄緑元(1688)年の造立で、上部の左右には日月の図柄が彫られ、中央には 「南無青面金鋼」と文字が刻まれています。 現在は摩減してしまっていますが、記録よると下部には「申(さる)ノ形」という文字が縦に3列並べて彫ってありました。 これはおそらく、三猿を文字で表したものと考えられます。
 藤の庚申の前を通る道は、東へ進むと長泉院や十七が坂を通り、道沿いには「馬喰坂上庚申塔群」や「十七が坂上庚申塔」など多数の庚申塔があることから、庚申道と呼ばれています。 現在では細い道ですが、古くは目黒不動尊方面と宿山方面(現在の上目黒·東山方面) を結ぶ主要な道であったといわれています。








◆なべころ坂緑地公園





続く。