前のエリアから東へ進み、明治通りを超える。
◆渋谷氷川神社
神楽殿
参道入口
◆氷川の杜公園
氷川神社の境内にある公園。
この水川神社の創建は、区内ても古く、かつての下渋谷村、下豊沢村の鎮守社でした。そのころの祭日は、九月ニ十九日で当日は境内で相撲が行われ、その相撲場は今も残っています。
この行事を金王相撲といい、いつごろから始められたか明らかではありませんが、かなり古くから行われていたらしく、近郷はもちろん江戸の町からも見物人が集まり、凶年などには休業しようとしても見物人が集まるので、やむなく興行したといいます。
ここで相撲をとったのは、本職の江戸のカ士ばかりではなく、近郷の若者も大勢参加し、江戸時代の村のレクリェーションの場となっていました。
◆商和稲荷神社
google mapに載っていなかった。
明治通りから撮影。
この右手の細い道を、古くから鎌倉道と呼び、源氏が鎌倉に慕府を開いて以来、東日本の各地に設けた軍道のひとつといわれています。
ここから西へ行くと、渋谷川を渡って台地をのぼり猿楽塚のニつの築山の間を抜けて目黒川にくだり、さらに多摩川を渡って神奈川県にはいります。
また、東に進むと、青山学院の付近を通り、千駄ヶ谷方面に達し、さらに東北地方に向かっていたといわれています。
大永四年(1524)に、相模の北条軍がこの鎌倉道を通って江戸に攻めのぼり、その時の戦火が渋谷地域にも及び金王八幡宮付近にあった城館が焼失したと伝えられます。
清流の復活 -渋谷川・古川ー
渋谷川・古川は、 渋谷駅付近から渋谷区と港区の境までのて間を渋谷川といい、港区に入ると古川と名前を変えて、芝公園に沿って流れ、旧芝離宮恩賜庭園付近で東京湾にそそいでいます。
渋谷川は昭和の初めごろまではかんがいの水源として、 古川は小舟の舟運に利用されていましたが、都市化の進展や陸上交通の発展とともにその利用状況が大きく変化し、水質の原化や水量の減りがみられました。
そこで、平成年(1995年)3月より東京都では清流復活事業を実施し、渋谷川・古川で清流の復活を行いました。
この渋谷川·古川に流れている清流は、新宿区上落合にある落合水再生センターで高度処理した再生水を利用しています。
東京都では、都民が水辺に親しむことができるとともに、水辺に多様な生物が生息できるよう、水質の向上や水量の回復により、心のやすらぐ水辺環境づくりをめざしています。
◆旧東横線橋脚
旧東横線の高架橋の支柱を一部残し、鉄鋼やレールを組み合わせたオブジェを遺構として設置した。オブジェや遊歩道上に記された番号は、渋谷駅から数えた高架橋の柱の管理番号を示している。
続く。