2020/07/02 品川区広町散歩 01 大井町駅/旧大井町変電所・今川氏真館跡/大井町駅駅前広場/花子と太郎像/伏見玉光稲荷神社/大井蔵王権現神社

24時間勤務アケで、JR大井町駅からJR大崎駅まで散歩。



大井町駅から北西にある品川区役所方面に向かう。


大井町駅

スタートのJR大井町駅









◆旧大井町変電所・今川氏真間跡
youtu.be
京浜東北線の車窓から。
下半分しか写っていない(w
今度はもう少し広角レンズのカメラを用意しよう・・・・。



品川区役所屋上から。




google mapより。
大井町変電所について調べてみたのだが詳しいことが良くわからない。
「墳丘からの眺め」さんのブログがおそらく一番詳しく調べていらっしゃる。
旧大井町変電所(JR東日本東京総合車両センター内の赤レンガ建物) 東京都品川区広町 - 墳丘からの眺め


google mapを見るとこのレンガ建物がある「JR東日本総合車両センター」の敷地の中に「今川氏真館跡」がある。
今川氏真wikiで調べてみた。
『今川 氏真(いまがわ うじざね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、文化人。今川氏12代当主。父・今川義元桶狭間の戦い織田信長によって討たれ、その後、今川家の当主を継ぐが武田信玄徳川家康による駿河侵攻を受けて敗れ、戦国大名としての今川家は滅亡した。その後は同盟者でもあり妻の早川殿の実家である後北条氏を頼り、最終的には桶狭間の戦いで今川家を離反した徳川家康(松平元康)と和議を結んで臣従し庇護を受けることになった、氏真以後の今川家の子孫は、徳川家と関係を持ち続け、家康の江戸幕府徳川幕府)で代々の将軍に仕えて存続した。 』
とあった。

また、
『家康は氏真に対して品川に屋敷を与えたという。氏真はそのまま子や孫のいる江戸に移住したものと思われ、慶長18年(1613年)に長年連れ添った早川殿と死別した。 』
とあったので、詳しい場所の記載はないが、品川に住んでいたことは間違いない。

さらに、
『氏真の墓は早川殿の墓と共に、今川家知行地である武蔵国多摩郡井草村(現在の東京都杉並区今川二丁目)にある宝珠山観泉寺に移された。』
って、ウチの近所だ・・・・。
近いうちに見に行こう!!

今川氏真 - Wikipedia








大井町駅駅前広場


平和の誓い像




 この灯は広島市平和記念公園にある 「平和の灯」と長崎爆心地公園にある 「等いの火」から分火し、合火して、ともしています。
 非核平和都市品川宣言の趣旨を受け、 核兵器の魔絶と世界の恒久平和を目指 す、品川区民の決意をあらわしたものです。







◆花子と太郎像



 この「花子と太郎」像は、大正十四年頃、大井町に住んでいた詩人・萩原朔太郎(1886~1942)にちなんで建てられました。
 朔太郎は大正から昭和期にかけて活躍し口語自由詩を完成し、日本における近代詩の確立に大きな足跡を残しました。
 大正十四年(1925)二月、三十八歳の時に妻子と共に郷里の群馬県(現在の前橋市)から上京。この大井町で初めての都会生活をはじめました。この地での生活はわずか二ヶ月ほどでしたが、その経験から、「大井町」と題した詩を発表しています。
 昭和四十八年に立会川を蓋がけし、上部児童遊園として整備する際、朔太郎の代表的な詩集『青猫』をモチーフとしてこの像を作成し、この場所に設置しました。


群馬前橋にある生家跡を巡ったことがある。

2014/11/08撮影
2014/11/08 part2 群馬の社会科見学「自販機ミュージアム」 - ovanの社会科見学



この道路は立会道路。







◆伏見玉光稲荷神社







◆大井蔵王権現神社


仲よし童


福禄寿







続く。