2020/07/11 北品川散歩 12 正和稲荷神社/利田神社/品川浦公園/品川志匠会病院/北品川橋/品川駅

八ツ山通りを北上。
途中から品川セントラルガーデンを抜けて品川駅でゴール。



◆正和稲荷神社







◆利田(かがた)神社



しながわ百景



鯨塚1

武州荏原郡品川浦天王洲漁人等建之
鯨鯢ハ魚中ノ王 本邦西南ノ海ニ多ク
東北ノ海ニ少ナリ 今年仲夏甲子ノ日
始子品川天王洲  舟ヲ以テ囲ミ
矛ヲ以テ刺 直ニ廳事ニ訴フ衆人
コレヲ聞テ コレヲ見ント 数日群集ス
諺ニ此魚ヲ獲時ハ七郷富潤フトフ
漁長ニ代ッテ祭之詞
玉池一陽井 素外
   江戸に鳴
     冥加やたかし
       なつ鯨

鯨塚乃由来
此ノ鯨塚ハ寛政拾年(西暦1798年)五月壱日折柄ノ暴風雨ニモマレ乍ラ大鯨ガ品川ノ沖ニ這入リ込ミ是ヲ見ツケタ猟師達ハ舟ヲ出シテ遠巻ニシテ天王州ニ追イ込ミ遂ニ捕エタ 
此ノ事ガ忽チ江戸ニ広ガリ見物客デ大賑イニ成リ五月三十日ニ芝ノ浜御殿(今ノ浜離宮公園)ノ沖ニ船デ引張ッテ行キ第十一代将軍家斉公ニ御覧ニ入レタ 
此ノ鯨ノ背通リ長サ九間一尺高サ六尺八寸有ッタト言ウ 鯨塚ニハ左ノ句ガ刻ンデアル
  江戸に鳴る
    冥加やたかし
      なつ鯨
当時の俳人 谷 素外


鯨塚2





品川浦の生活
 品川は江戸内湾に画し、室則時代から港として開けたところでした。江戸時代には大消費地の江戸に近いことから漁業や海苔作りがより盛んになり、将軍家にも献上していました。また、品川の海は江戸市中から行楽の場でもあり、四季折々に鯖やはぜ釣り、船遊び、潮干狩りの人びとで賜わいました。品川沖に浮かぶ白帆の姿をはじめ、潮干狩りや海苔採り風景など品川を描いた名所絵には必ずといっていいほど、海の光
景が描かれています。埋め立てが進んだ現在、海はすっかり遠くなってしまいましたがかつて海は品川の人びとの生活に深く結びついていたのです。


うちよする
 浪は御浜の
  おにはぞと
   くじらは潮を
    ふくはうち海

品川沖の鯨の図
1798年(寛政10)5月、天王洲の浅瀬に乗り上げて動けない大鯨を漁師らが捕まえました。長さ16m余り、高さ2mもあり、瓦版も出版され多くの
見物人で賑わったといわれています。
この話は江戸城にも伝わり、鯨は浜御殿(現浜離宮御賜公園)まで運ばれ十一代将軍家斉の目にも触れ、その時詠まれた歌が右記のものです。その後、鯨は解体され、骨は州崎弁天(利田神社)の境内に埋められました。






◆品川浦公園




利田(かがた)新地

 南品川猟師町の地先を安永三年(1774)から埋め立て、天保五年(1834)に完成した面積一町(三千坪 約九九〇〇平方メートル)の土地です。
 はじめは新しく開かれた土地ということで南品川新開地と名付けられましたが、開墾に着手した南品川宿名主とした吉左衛門の姓をとって利田新地と呼ばれました。






◆品川志匠会病院
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◆北品川橋





しながわ百景






◆品川駅

ゴールのJR品川駅。






史跡がいっぱいあった(w
1日で12ページはかなりの量だね・・・。
途中雨に降られて公園で少し休んだので体力的にはそんなでもなかった。
実は新馬場駅から帰ろうと何度か思った。
旧東海道沿いは公園がたくさんあり、史蹟がたくさんあって飽きないので初心者向き。
ただ、人が多く交通量が多いので僕みたいに写真を撮りながらだとイライラするかもしれない(w