2020/07/19 高輪散歩 06 光台院/広岳院/丸山神社/興意親王墓/東海大学高輪キャンパス/とらや

まだまだ天神坂を西へ進む。
光台院をだいぶ過ぎてから小さな路地に入り南へ進む。
興意親王墓から西へ進んでまた二本榎通りに出て北に進む。



◆光台院







◆広岳院







◆丸山神社



 丸山神社創祀以来の言い伝えによると神社創建の遠因は治承三年(1179)に遡ることになりますが現存している唯一の記録によれば丸山神社は文禄三年(1594)芝西久保丸山竜土(現在の港区愛宕山近辺)という地に在った。曹洞宗常陸国永厳寺の末寺である医王山廣岳院の境内に、廣岳院の開基全梁が、徳川家康の命を受けて創始した丸山神社であります。
 その後、江戸幕府の城下整備計画により丸山神社、廣岳院は、承応二年(1653)に芝二本榎(江戸時代の俗称地名、昭和42年の町名変更まで二本榎の町名が続く。現在の高輪一丁目)に換地9405坪が与えられ丸山竜土より移転、以来二本榎丸山神社と称し、近隣の人々の氏神として崇敬されてまいりました。
 丸山神社は丸山竜土時代に2度、現在地に移ってから弘化二年(1845)の青山の大火、大正十二年(1923)の関東大震災など4度の災害に遭っておりますが不思議にも六柱の祭神、神体立像は、焼失破損を免れ今も丸山神社のご神体として崇められております。又境内にある通力稲荷神社は京都伏見稲荷のご祭神、宇迦之御魂命を勧請してお祀りしてあるもので、弘化二年青山の大火のあと神社再建の節、特に商売繁盛の神を祀る社として別殿とされたものであります。
 再建された建物は関東大震災によって大破しましたが、氏子の協力のもと早速再建にとりかかり昭和3年現在の社殿その他の建物が完成しました。


通力稲荷神社


鳥居と神楽殿






◆興意親王



WEBで検索してみた。
朝日日本歴史人物事典に「興意親王」の解説があった。
没年:元和6.10.7(1620.11.1)
生年:天正4.10.12(1576.11.2)
安土桃山・江戸前期の皇族。誠仁親王の第5王子、母は新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)。初め円満院へ入るが、天正19(1591)年1月聖護院へ入り、道勝と名乗る。慶長13(1608)年12月興意と改名する。同15年3月三井寺長吏となり、同18年11月二品に叙せられる。
同19年8月豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に、書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府の嫌疑を受け蟄居した。元和2(1616)年聖護院寺務および三井寺長吏を退いた。嫌疑が晴れたのち白川に照高院を移し、ここへ入った。同6年9月江戸へ下向、滞在中急死した。


皇族の方なんですね。
看板をよく見ると「宮内庁」の文字が見える。
中には入れなかった。
一般公開らしき情報もない。






東海大学高輪キャンパス






◆とらや



かなりいろいろな要素の入っている建物だね。
だいぶ前から閉店してしまっているらしい。





続く。