2020/07/19 高輪散歩 07 大石良雄外十六人忠烈の跡/保安寺/スリランカ大使館/ウズベキスタン大使館/泉岳寺への抜け道/正源寺

二本榎通りを北に進んでウズベキスタン大使館を巡った後、少し戻って泉岳寺へ抜ける細い路地を進んでいく。




大石良雄外十六人忠烈の跡




 この地は、赤穂事件 で大石内蔵助良雄ら一七人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。赤穂事件とは、元禄一四年(1701)三月十四日におこった殿中刀傷事件とその翌年一二月一四日夜から一五日にかけての吉良邸討ち入り及びその一連の事件のことをいいます。
 当時の藩主五代綱利は、老中稲葉丹後守からの御預けの命を受けると、大目付仙石伯耆守の屋敷に総勢八七五人の藩士と駕籠を送り引き渡しを受けます。このような大部隊を送ったのは、大藩の威武を示すとともに、上杉家の襲撃を警戒したためといわれています。細川家は、大藩の威厳と識見をもって優遇し御預四家の中で即日引見したのは細川家だけでした。
 元禄一六年(1703)二月四日午後二時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け、大石内蔵助 が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存じ奉り候」と礼を述べました。切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を負った位置でした。






入口



入口にある石碑







◆保安寺



山門







スリランカ大使館



スリランカ民主社会主義共和国スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。首都はスリジャヤワルダナプラコッテ
1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。』
スリランカ - Wikipedia







ウズベキスタン大使館



ウズベキスタン共和国ウズベキスタンきょうわこく、ウズベク語: Oʻzbekiston Respublikasi)、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する共和制国家。首都はタシュケントタシケント)。
北と西にカザフスタン、南にトルクメニスタンアフガニスタン、東でタジキスタンキルギスと接する。かつてソビエト連邦の構成国であった。国土の西部はカラカルパクスタン共和国が自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタンキルギスと国境が入り組んでいる。 』
ウズベキスタン - Wikipedia







泉岳寺への抜け道



碑が立っていたけど刻まれた文字が判読できない。





とにかく狭い路地だった・・・・。







◆正源寺



泉岳寺への抜け道途中にあった。





続く。