2020/08/19 神保町散歩 03 天麩羅「はちまき」/一誠堂書店/芳賀書店本店/光華飯店/神田神保町一丁目/神保町駅

まだまだ神保町駅周辺を散歩。


◆天麩羅「はちまき

昭和6年(1931年) 創業。
昭和20年から現在の場所で営業。
参考
天麩羅はちまき | REKISHOKU.jp








一誠堂書店



明治36年新潟県長岡市にて創業。
明治39年、東京神田に移転。
参考
一誠堂書店


建物
昭和6年(1931年)建築
参考
東京神田の一誠堂書店 : レトロな建物を訪ねて








◆芳賀(はが)書店本店



取扱商品のラインナップがスゴイ(w







◆光華飯店



お昼ご飯♪







◆(旧・表猿楽町)神田神保町一丁目

 神田神保町一丁目北部のうち、このあたりは、江戸時代には一橋通小川町(ひとつばしどおりおがわまち)と呼ばれ、東側は表猿楽町(おもてさるがくちょう)と呼ばはれていました。
 「猿楽」とは能楽の古称です。 高名な猿楽師であった観阿弥世阿弥父子によって芸術性を高めた猿楽は、江戸幕府の「式楽(しきがく)」(儀式に用いる音楽・舞踊)に指定されました。それが、観世(かんせ)座、宝生(ほうしょう)座、 金春(こんぱる)座、金剛(こんごう)座、 および喜多流の「四座一流」です。
 このうち観世座は、徳川家康と縁が深かったこともあり、筆頭の地位を得ていました。 その家元観世太夫や一座の人々の屋敷がこの界隈にあったことから、「猿楽町」という町名が生まれたとされています。
 明治五年(1872)、この一帯に猿楽町という町名が付けられました。当時、このほかに猿楽町一~三丁目、裏猿楽町、中猿楽町という町名があり、現在の神田神保町一~二丁目から西神田一~二丁目まで、その趣のある名を冠した町が広がっていたのです。
 明治四十四年(1911)、猿楽町はいったん表猿楽町となりましたが、関東大震災後の区画整理の際に、西神田一丁目と神保町一丁目に変わりました。神保町という町名は、 江戸時代に神保長治という旗本が住んだことに由来しています。
また、この区画整理で、 町割も変わりました。道路を中心にしてその両側が町域になる、「両側町」という伝統的な方式が採用されました。 そのため、靖国通りをはさんで南に奇数、北に偶数の番地が交互に振られているのです。








神保町駅






続く。