2020/09/07 白金散歩 04 興禪寺/蜀江坂/北里大学/北里大学北里研究所病院/コッホ・北里神社

明治坂から蜀江坂へ移動。
蜀江坂を進み北里大学へ。



◆興禪寺

扉が閉まっていたので外からお参り。






◆蜀江(しょっこう)坂

坂上



坂途中。



坂下。



坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江大と呼んだことからつけられた。昔の字名は卒古台であった。






北里大学

こちらは白金キャンパス。






北里大学北里研究所病院






◆コッホ・北里神社

いつもなら世界平和をお祈りするのだが、今回は疫病退散をお願いした。



 北里柴三郎は、ベルリン留学時代(1886〜1891)ドイツの細菌学者 ローベルト・コッホ博士に師事し、当時、不可能と者えられていた破傷風菌の純培養に成功、さらに免疫抗体や血清療法の発見など数々の輝かしい業績を挙げ、その名を世界に知られるまでになった。
 北里はこれを全てコッホ博士のお陰とし、心からの尊敬と信頼を捧げた。 1910年5月27日、コッホ博士の計報を受け、北里は深い悲しみにくれ、間もなく、国立伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)の一隅に博士の遺髪をご神体として総檜造りの祠堂(コッホ祠)を建て、没後一年祭を挙行し 恩師を偲んだ。
 1914年11月5日、北里は国立伝染病研究所所長を辞し、即日、新たに 北里研究所を創設して所長となり研究事業を続行した。そして、翌1915年、このコッホ祠を北里研究所構内の東南隅に招来し、同年5月27日、例祭を兼ねて遷座報告の祭典を挙行した。 1931年6月13日、北里が逝去すると、門下生らは、北里の御霊を北里 研究所内に祀ることを願い、間もなく、コッホ祠の傍らに北里祠を設け、 コッホ祠と共に北里研究所の守護神として崇敬報恩のしるしとしてきた。 1945年年5月25日、戦災により北里祠は焼失したが、幸い難を免れた コッホ祠にそれを合祀し、以後現在まで毎年6月13日の北里の命日に例祭を 行っている。また、5月27日のコッホ博士の命日には献花を捧げている。 1980年、この祠堂は北里本館屋上の一隅に遷座されたが、1993年、当初北里祠の在った位置にほぼ近い現在地に移すことになり、これを機に コッホ・北里神社と呼ぶことになった。 2006年5月、北里柴三郎没後75年記念事業の一環として、建立から 94年経った祠堂の修復と覆屋の修理を行った。


コッホ・北里神社周辺記念樹



 この樹木は「カラタネオガタマ」という名前の常録樹です。 北里研究所相談役・北里大学特別栄誉教授の大村智博士より 寄贈されたものです。2014年から始まった薬学部校舎・ 北里本館建替新築工事の完了を記念して2019年4月6日 に植樹されました。オガタマは霊を招くという意味の 「おきたま(招霊)」が訛ったもので、とりわけ神社の境内など で見られるそうです。花が甘い香りを発するので「バナナ・ ツリー」とも呼ばれます。 この樹木の隣には、しだれ桜があります。北里四天王の 一人で赤痢菌発見者の志賀潔博士が1951年に手植えされ たもので、常に神社に寄り添っておりました。建替新築工事 の一環で2015年にコッホ・北里神社が現在の場所に ご遷座された際には、しだれ桜も一緒に移植されました。 カラタネオガタマは、神社右側の菩提樹(大村智博士が 2003年に寄贈)や紅梅、白梅、山桃、紅葉、しだれ桜など の木々と共に、北里研究所・北里大学の安軍と発展を願う コッホ・北里神社を囲む鎮守の杜としての役目を果たして おります。


2015年ノーベル生理学・医学賞受賞 大村智博士寄贈の菩提樹




この菩提樹は、2003(平成15)年11月に、 白金構内整備事業の完了を記念して、大村智 博士から寄贈を受け、植樹したものです。 白金構内整備事業は、1996(平成8)年の 設計認定を受けて始まり、北里研究所病院新棟 (1999年竣工)、アネックス棟(現東洋医学 総合研究所他、2001年竣工)、教育研究A 棟(現薬学部1号館、2001年竣工)、教育 研究B棟(現北里生命科学研究所棟、2002年 竣工)、職員宿舎棟(2002竣工)を新築した 一連の工事です。工事は、スクラップアンドビルド 方式で進められ、7年に及ぶ一大事業となり ました。
 菩提樹の手前に設けられている石碑は、大村 博士の直筆によるもので、ここに刻まれている 「日本学士院会員」には、2001(平成13)年 12月に選出されました。







続く。