2020/09/11 芝公園散歩 01 田町駅/NEC本社ビル/薩摩藩三田藩邸跡/三信電気本社/戸板女子短期大学/芝さつまの道/港区芝三丁目歩道橋

24時間勤務アケで田町駅から芝公園経由で浜松町駅まで散歩。


ここでは田町駅から北上し、芝公園手前にある「友愛労働歴史館」まで。


田町駅

スタートのJR田町駅






NEC本社ビル

誰もが知ってる大企業だね。
しかしでかいビルだなあ・・・・。




薩摩藩三田藩邸跡

NEC本社ビルの敷地が「薩摩藩三田藩邸跡」なのだろう。







三信電気本社

東証一部上場企業。
電子機器の国内販売、貿易などを行っている企業。






戸板女子短期大学

1902年創立の戸板裁縫学校が起源で、創設者は戸板関子。
出身者に松本伊代菊池桃子などの名前があった。
戸板女子短期大学 - Wikipedia






◆芝さつまの道




左から
薩摩島津藩上屋敷図(寬政二年・1790年)
 この場所は、広大な薩摩藩上屋敷のほぼ中央部に位置します。詳しくご覧になれば屋敷内の部屋割りや蔵、馬屋、庭園の池、池に架かる橋、能舞台などがあった様子が見て取れます。
 倒幕から明治維新を迎える時代の流れの中で、歴史の舞台となった場所でもありました。 

今昔散歩重ね地図(万延元年・1860年)
 江戸時代の芝周辺には、多くの大名屋敷がありました。なかでも薩摩藩上屋敷は、周辺地域最大規模の屋敷であったことが分かります。 上屋敷は現在の第一京浜から日比谷通りをはさみ、 三田通り(桜田通り)まで東西約800m、南北約300mの敷地を有していました。
 当時の面影は、現在の首都高都心環状線の下に流れる「古川」や上屋敷東端にあった「芝七曲通り」に見て取れます。

戸切絵図芝高輪絵図 (安政四年・1857年)
 芝周辺の陸地化は、発掘調査の結果、弥生時代の頃にはだいぶ進んでいたことが明らかになりつつありますが、本格的な開発は江戸幕府の成立以降とともに始まります。
 その頃の海岸線は現在のJRの「田町」駅より内陸寄りにあり、この場所一帯は江戸の街づくりが進むにつれ、多くの大名屋敷や町家、寺社などが軒を連ねるようになります。 また当時の東海道(現在の第一京浜道路)の辺りには、江戸入り、旅立ちの人々のための一服茶屋も建ち並んでいました。






◆港区芝三丁目歩道橋

下は日比谷通り。









続く。