2020/09/11 芝公園散歩 04 伏見三寶稲荷神社/東京都済生会中央病院/赤羽橋/キューバ共和国大使館/飯倉公園

芝公園西側に移動。
飯倉公園周辺を散策する。



◆伏見三寶稲荷神社






東京都済生会中央病院






◆赤羽橋

下は古川。











キューバ共和国大使館



キューバ共和国キューバきょうわこく、西: República de Cuba)、通称キューバは、カリブ海大アンティル諸島西インド諸島の一部)に位置し、キューバ本島とその周辺の島嶼からなる社会主義共和制国家。首都はハバナ。 』
キューバ - Wikipedia






◆飯倉公園


麻布地区旧町名由来板

麻布飯倉町(あざぶいいぐらまち)一丁目~六丁目
 飯倉というのは古くからある地名です。 昔伊勢神宮の直轄領である屯倉(みやけ)(役所・倉・水田を含む)を置いた跡なので、 この名が起こったといわれています。かつては、 飯倉村と呼ばれていましたが、江戸時代以降、 虎ノ門から品川宿への道筋にあたっていたことから、おいおい町並みとなり、寛文2年(1662)に町奉行の支配に入り飯倉町一丁目~六丁目となりました。

麻布我善坊町(あざぶがぜんぼうちょう)
 町域に我善坊谷があるので谷の名前をとって我善坊町と名付けられました。 我善坊谷の由来については、 座禅をする僧侶がいたから、 あるいは二代将軍徳川秀忠の夫人崇源院(すうげんいん)の火葬の際の龕前堂(がぜんどう)があったからなど諸説があります。

麻布森元町(あざぶもりもとちょう)一丁目~三丁目
 芝森元町は、元和年間(1615~1624)伊藤某以下の者が下谷切手町(現在の台東区)に町屋敷を拝領しましたが、 元禄11年(1698)、類焼して東叡山の用地になり、 元禄12年(1699)芝増上寺森之下へ替地を拝領し、増上寺の森の下の意味で芝森元町となりました。
明治5年(1872)、付近の武家地をあわせて、芝森元町一·ニ.三丁目となりました。
明治11年(1878)の区制施行で芝区に入り、明治13年 (1880)、 麻布区編入麻布区芝森元町となりましたが、明治44年(1911)に芝の冠称をとり森元町となりました。

麻布飯倉片町(あざぶいいぐらかたまち)
 飯倉というのは古くからある地名です。昔伊勢神宮の直轄領である屯倉(役所・倉・水田を含む)を置いた跡なので、 この名が起こったといわれています。飯倉片町の起立の時期については、飯倉町各丁と同じころのようです。 「江戸図」には延宝2年(1674)町屋としてみえており、 このころから片町と呼んだらしく、片側町であったため飯倉片町というようになりました。

麻布仲ノ町(あざぶなかのちょう)
 万延元年(1860)の切絵図には、南は飯倉片町と、 北は市兵衛町二丁目の中間の通路に「中ノ丁」とのっています。 飯倉通りと市兵衛町の中間であるから俗に仲之町と呼ぶようになりました。明治5年(1872)その俗称をとって「麻布仲之町」となりましたが、明治11年(1878)、麻布区設置に伴い「麻布仲ノ町」となりました。







続く。