2020/09/11 芝公園散歩 07 芝東照宮/旧台徳院霊廟惣門/増上寺三解脱門/浜松町駅

芝公園の後は少し増上寺の門などを巡って浜松町駅へ向かい、ゴール。



芝東照宮



(御祭神)徳川家康
(創祀沿革)当宮御祭神(御神体)は公の生前自ら駿府城に於いて祭儀をなされた寿像である。元和二年四月十七日公の薨去の際、公より「像を増上寺に鎮座させ永世国家を守護なさん」と仰せられ翌年三月現在地に社殿(安国殿)が創建された。明治以降神仏分離令により芝東照宮となった。旧社殿は権現造りで国賓になったが先の戦火で焼失し現社殿は昭和四十四年完成する。公の御神徳による東都を鎮護する代表的なお社です。徳川家康公の思想を御遺訓から学び取ると勤勉・慎重・堪忍・自責・簡素・倹約です。以って世の中の安寧、世界の平和を希求する厭離穢土劤求浄土の御旗に託しているのです。


芝東照宮イチョウ




 芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、「江戸名所図会」二もその姿が見られる。明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、芝東照宮となった。
 このイチョウは、寛永十八年(1641年)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。
 昭和五年(1930)に史跡名勝天然記念物保存法に基づいて国の天然記念物大二塁(地方的なもの)として指定されたが、昭和二十七年に文化財保護法が改正された時、国指定は一旦解除され、その後昭和31年に東京都の文化財保護条例に基づき指定し直され現在に至っている。
 平成五年(1993年)の調査では、高さ21.5m、目通り幹囲約6.5m。根元の周囲が約8.3mもある。


星野高士句碑

人にまだ 触れざる風や 朝桜
長編の 虚子の一書を 読始
法師蝉 鳴いてゐる木と すぐわかる


星野高士句碑建立記念俳句

発起人
咲き満ちて宮居に句碑に花明り   静雄
歳月は美しきかな梅ひらく     酒井郁子
日脚伸ぶけふの宴はタンシチュウー 檀太郎(俳号 旦士)
小夜時雨遣らずの雨ととヾめらる  西川阿舟
坂道の終わりの空の山椿      中島信也(俳号 新)
絵巻めく東照宮の花吹雪      桂
木の実独楽父にはいつも敵はざり  川崎城春
残したき言の葉ばかり宮乃春    高橋カ女
これよりは宮の小鳥に遊ぶ句碑   石川墨水世
高士句碑見る楽しみも玄〇〇    柳〇みはら
初蝶は立子の使者よ句碑披き    中村代詩子
夕映えの雲をふちどる街の冬    森みち子
〇や虚子の御心つなぐ句碑     小島昭
雪解や我が高士〇の句碑建つぞ   〇お〇〇
句碑涼し関八州をそびらにし    長尾光風
マイウェイ声高らかに年志     奥佳士朗
結び目をほどくときめき懸想文   森孝子

〇はどうやっても読めなかった。
WEBで検索してもダメだった・・・。
星野高士を検索してみた。
『星野 高士(ほしの たかし、1952年8月17日- )は、神奈川県鎌倉市生まれの俳人。星野椿の息子、星野立子の孫で高濱虚子、星野天知の曾孫にあたる。』
星野高士 - Wikipedia


東照宮復興祈念碑
[
 東照宮御神体であり、重要文化財でもある家康公の寿像は、慶長六年、徳川家康公60歳の新春を迎えられた正月元日、年始の式をおわられたあと、近習丸津某に命ぜられて、公の等身大に彫刻させられたものであります。存生中はつねにみずから、この寿像の祭供を行われておられたと、重要文化財である添書に明記されてあります。本営は、日光、上野、久能山東照宮とともに、わが国四大東照宮として崇敬者の尊敬をあつめている由緒ある名宮であります。
 こ寿像が本営にまつられましたのは、元和二年四月、御違例によって、増上寺の観智国師、了的、廊山の三高僧が駿府城に登営され、そのとき家康公より「この像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せ出されました。そしてこの丸山の地をトして社地に定められ、元和二年十月造営されたのであります。
 その後、寛永十一年模様替えがあり、同十八年には社殿さらに新改築成って、その壮厳なる社殿は大正四年国宝建造物に指定され、神域の公孫樹(いちよう)は昭和5年8月、天然記念物に指定を受け、増上寺とともに伽藍の美を誇って居りました。また、寛永年間より明治維新まで別当安立院が奉仕し、明治3年の神仏混淆廃止令によって、明治六年七月三十一日郷社に定められ、以来、芝公園町内の氏神さまとして、氏子はもとより、全国崇敬者の参拝絶える事なく、春秋の大祭日は、山車、催物等、殷賑を極めたといわれて居ります。しかし、不幸にして、さきの戦災により、寿像と公孫樹とを除き、社殿は灰燼に帰してしまいました。
 英雄とこしえにまつられる本営の仮神殿の現況を見るに忍びず、町内氏子、崇敬者相寄り、昭和三十六年十月、東照宮復興奉賛会を創立いたしました。その後、いくたの障害もありましたが、昭和四十四年八月十七日壮麗なる社殿並びに社務所が落成し、それと前後して、防火壁、玉垣等、境内の整備もなされました。更に、昭和四十八年五月十七日に水舎が完成して、現在の姿に復興するにいたりました。
 江戸八百八町の開設者であり、東京都の大恩人である家康公をまつる本営が復興なりましたことを心から喜ぶと共に、今後、本営が一層多くの人々の崇敬の的になることを祈願するものであります。


鳥居


参道







◆旧台徳院霊廟惣門


彫刻 木像仁王像 二躯

 重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置している寄木造り、砥粉地彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐(いわくら)の上に立っています。
 平成十六年から十七年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(1789)、弘化三年(1847)の2度にわたり修理が行われていることがわかりました。さらに 安政二年(1855)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和二十三年(1948)、同寺三重塔の修理と同時期に3度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和33年ごろまでには この惣門に安置されたと考えられます。
 本像は18世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。
 像高 阿形(あぎょう)  243.5cm
 吽形 吽形(うんぎょう) 247.0cm





増上寺三解脱門

今度増上寺メインで散歩する予定なので、その時に!






浜松町駅

ゴールのJR浜松町駅



今回は坂もなく歩きやすかった。
ただ、まだまだ暑いね。
涼しかったら増上寺も散策していたんだけどなあ。