再開発エリア北側を東から西へ散策。
西久保八幡神社も建て替え工事していた。
ほんとに工事だらけのエリアだね。
◆西久保八幡神社
拝殿は工事中だった。
前に一度来たことがある。
2017/01/13 part2 西久保八幡神社/外交史料館 - ovanの社会科見学
◆八幡町歩道橋
下は桜田通り。
◆番神山城( ばんじんやまじょう)址
説明板など何もなかった。
google mapのマークは写真のところ辺り。
番神山城(東京都港区)の見どころ・アクセスなど、お城旅行と歴史観光ガイド | 攻城団
こちらのページを拝見すると場所はコチラで合っているようだ。
確かに高台になっているので城を築くにはちょうど良い場所かもしれない。
太田道灌が江戸城の出城として築いたとのこと。
江戸時代には出石藩仙石家の藩邸があったので「仙石山」と書かれた石碑があるんだそうだ。
しかし、このページ以外情報がないのにビックリした。
他にも西久保城跡とある。
こちらは場所が定かではなく候補の一つということだろう。
源頼朝の家臣、熊谷直実が築城したと言われる城とあった。
google map
マップには二つ登録されていた。
参考
西久保城(東京都港区)の詳細情報・周辺観光|ニッポン城めぐり−位置情報アプリで楽しむ無料のお城スタンプラリー
◆三年坂
こちら再開発で完全に消滅している。
奥に写っている巨大な建物(霊友会釈迦殿)の右側あたりにあった坂。
google mapのマーク。
しかし、こんなに広い敷地を再開発して何が建つんだろうね(汗
再開発が終わった頃、僕は生きているんだろうか・・・・。
google mapでは赤い円の中にあるマーク。
だいたい写真のところ辺り。
チェックしたときにはちゃんと名前の登録もあったのだが、今回見たら消えてた。
MAPも進化しているんだね。
参考
吉田苞竹記念会館 | 美術館・博物館 | インターネットミュージアム
参考
書壇院|アクセス
現在はコチラに移転。
名前も変わっている。
書壇院|TOP
『吉田 苞竹(よしだ ほうちく、明治23年(1890年)12月20日 - 昭和15年(1940年)5月1日)は山形県生まれの書家である。字は子貞、苞竹は号で、別号に無為庵主人・逍遙窟主人・清泉などがある。晩年の作品の落款には「苞竹懋」・「懋」など、懋を使用していることが多い。 』
吉田苞竹 - Wikipedia
なんと鶴岡出身なんだね。
同郷なのに僕はマッタク字が下手で情けなくなる・・・・。
◆日本国憲法草案審議の地
この地は、昭和二十一年(1946 年)二月、連合国軍総司令部 と、日本国政府との間で、日本国憲法 草案について審議された跡地である。
この地には(財)原田積善会 の本部があり、戦後に外務大臣官邸として使用されていた。当事者に総司令部側代表としては、民生局長ホイットニー准将、民生局次長ケーティス大佐の両名で、日本側は当時の外務大臣吉田茂 と法務大臣松本烝治 であった。
◆サウジアラビア王国大使館
続く。