2020/10/03 六本木散歩 05 山形ホテル跡/行合坂/ロイヤル化粧品本社/紀州徳川藩屋敷跡/泉ガーデンタワー/なだれ坂/六本木グランドタワー

前のエリアからさらに西へ進んで麻布通りに出る。
途中から細い路地へ入って西へ進む。



◆山形ホテル跡

此処は、大正九年から昭和元年まであった山形ホテルの跡地である。
永井荷風は、此処から北百米程の処に木造二階建の洋館を建て、『偏奇館』と称した。
二十五年ほど独居自適の生活を送ったが、昭和二十年三月十日の空襲で焼失した。
荷風は其処で「雨瀟瀟・雪解」「濹東綺譚」などの名作を書いている。
荷風の日記「断腸亭日乗」には山形ホテルが登場する。
彼は此処を食事、接客のために頻繁に利用した。
当時、山形ホテルの北側は崖となっており、間に小さな谷間を挟んでその対岸に偏奇館が建っていた。
山形ホテルの主人、山形巌の子息が俳優山形勲(大正四年ロンドン生れ、平成八年没)である。
衣笠貞之助監督「地獄門」(昭和二十八年)、今井正監督「米」(昭和三十二年)など、代表作は数多い。
永井荷風の研究家である、評論家川本三郎は著書「荷風と東京」(平成八年、都市出版)で、荷風と山形ホテルについて一章を割いている。
昭和四十七年に麻布パインクレストが当地に竣工した。
爾来三十年が経過、都心部での住民主導によるマンション建替えの嚆矢として今般麻布市兵衛町ホームズが完成した。








◆行合(ゆきあい)坂

坂上
工事中だった・・・。
右側の道は麻布通り。
上は首都高速都心環状線



坂下。



双方から行き会う道の坂であるため行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためかさだかでない。







◆ロイヤル化粧品本社

名前は聞いたことがあるが、非上場の会社だった。

『ロイヤル化粧品株式会社(ロイヤルけしょうひん、英文社名:Royal Cosmetics Co., Ltd.)は東京都港区六本木に本社を置く、化粧品・医薬部外品・健康食品の製造・販売メーカー。代表取締役会長の桃園忠により、 1987年(昭和62年)に設立された。コーポレートメッセージは「美しさとロマンをあなたへ」。純金箔入りの基礎化粧品「ロイヤルハーブ」シリーズを主に製造する。 』
ロイヤル化粧品 - Wikipedia







紀州徳川藩屋敷跡

近代文化の拠点ー旧紀州徳川家屋敷跡
江戸時代に徳川御三家の一つであった旧紀州和歌山藩主徳川家は、明治初期に麹町、赤坂の拝領屋敷を皇室と明治政府に返納した後、明治六年(1873)から大正末期まで、現在、港区立麻布小学校などがある港区麻布台1丁目に屋敷を構えた。
 この間、同家第十五代当主徳川頼倫は、わが国最初の私立図書館である「南葵(なんき)文庫」を邸内に設け、育英奨学団体「南葵育英会」を設立、学生寮「第一進修学舎」を建設した。さらに第十六代当主徳川頼貞は、本格的な音楽ホールとしてはわが国最初となる「南葵楽堂」や、音楽関係資料を集積した「南葵音楽文庫」を開設した。
 しかし、大正十二年(1923)の関東大震災などにより大打撃を受け、わが国の文化・教育の振興に多大な貢献を果たしたこれらの施設の多くは、その歴史的役目を終えた。
 明治四十四年(1911)に創設された財団法人南葵育英会は、本年百周年の節目の年を迎えるにあたり、忘れ去られようとしているこれらの事績を後世に伝えるため、記念事業の一環として、旧紀州徳川家屋敷跡に銘板を設置することとした。
 なお、南葵文庫の蔵書は、現在、伯爵徳川慶喜が揮毫した扁額とともに、東京大学総合図書館に収蔵されている。また、南葵楽堂に据えられていたパイプオルガンは、東京音楽学校から上野公園に移築された「旧東京音楽学校奏楽堂」に設置され、保存と活用が図られている。








泉ガーデンタワー

少し遠くから・・・。







◆なだれ坂

坂下。



坂上



流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。






◆六本木グランドタワー

テレビ東京本社などが入っている。
テレ東は神谷町近くの日経電波会館から2016年に引っ越したとのこと。






続く。