2020/10/06 芝公園散歩 08 芝公園(みなと図書館・お台場の石垣石・芝公園町舎碑・こども平和塔・伸びゆく子供像・芝公園四号地・開拓使仮学校跡)

芝公園、いちばん北のエリアを散策。




◆みなと図書館






◆お台場の石垣石








芝公園町舎碑

google mapのマークは写真の場所で良いと思うのだけど、刻まれた文字が判読できず、こちらで合っているのかわからない。
裏側を見ると国旗掲揚台のようだが・・・・。






◆こども平和塔



戦争の痛手をきびしくうけたわたぐしたち日本の少年少女は
人類永遠の平和をねがうやむにやまれぬ心のしるしとして
ながいあいだかかつてここにこの塔をたてました






◆伸びゆく子供像



佛子泰夫(1916~1992)
彫刻家とあった。
参考
佛子泰夫 :: 東文研アーカイブデータベース






芝公園四号地


空襲の記憶と芝公園四号地

時代とともに
 芝公園4号地は園内北側に位置し、江戸時代は増上寺方丈でした。後の明治5~9年頃(1872~1876 頃) に北海道大学の前身である開拓使仮学校、明治22~43年頃(1889~1910 頃)は海軍水路部、大正5~大正12年(1916~1923)JR東京総合病院の前身である鉄道省東京鉄道病院などの変遷を経て、関東大震災による病院の焼失以降、公園施設が設置され始めました。第二次世界大戦中の昭和18年頃(1943頃)には本格的な防空壕が造成されるなど様々な地歴のある園地です。

ここにある戦災イチョウ
 このイチョウは銀杏坂 (現在の芝公園三丁目3、4 周辺、 東京プリンスホテル北西側) にあったものが、関東大震災後に新設された4号地に移植されたものと伝えられています。 昭和20年(1945) 5月25日の東京大空襲で被災し、木肌にはその時の焼け跡が残っています。 芝公園周辺は空襲により焼け野原となり、 このイチョウを含め何本かの樹木が当時の記憶を語り継いでくれています。
 現在では、焼け焦げた樹皮を包み込むように成長し、巨木になっています。 保全のため定期的に樹木医による診断や、 負担を軽減する勢定などを行なっています。







開拓使仮学校跡

 北海道大学の前身である開拓使仮学校は、北海道開拓の人材を育成するため増上寺の方丈の25棟を購入して、明治5年3月(陰暦)この地に開設されたもので、札幌に移し規模も大きくする計画であったから仮学校とよばれた。
 生徒は、官費生・私費生各60名で、14歳以上20歳未満のものを普通学初級に、20歳以上25歳未満のものを普通学2級に入れ、さらに専門の科に進ませた。
 明治5年9月、官費生50名の女学校を併設し、卒業後は北海道在籍の人と結婚することを誓わせた。
 仮学校は明治8年7月(陽暦)札幌学校と改称、8月には女学校とともに札幌に移転し、明治9年8月14日には札幌農学校となった






続く。