浜松町駅前の世界貿易センタービルの後はゆりかもめの竹芝駅まで歩き周辺を散策する。
◆世界貿易センタービル
今度展望台にのぼるので下見。
あと、3F中庭にあるという神社を見たかった。
◆旧芝離宮恩賜庭園
一度一人花見できたことがあるので今回はパス。
写真はmixiだなあ。
後で探してみよう。
延宝6(1678)年、4代将軍徳川家綱から埋立地であったこの地を拝顔した老中大久保加賀守忠朝は、ここに屋敷を作り、作庭を始めました。忠朝は、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、貞享3(1686)年までに完成した庭を「楽寿園」と命名しました。これが、本庭園の起源です。
「楽寿園」は、典型的な「池泉を中心とした回遊式庭園」で、その地割と石組は秀逸です。園景の中心には江戸の水辺庭園特有の潮入りの池があり、千満によって景色が変化するよう工夫されていました。 池泉の中央部には中国杭州の西湖堤を模した堤や蓬薬山を表した中島など中国の趣を取り入れ、築山の上から白帆の行きかう沖合の海も望むことができました。その後、大久保氏より数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。さらに有栖川宮家を経て明治8(1875)年に宮内庁がこれを買い上げ、翌年に「芝離宮」となりました。
明治24(1891)年には、迎賓館としての役割を果たすために園内に洋館を新築し、以来、多くの外国貴資を迎えました。
大正12(1923)年の関東大震災によって、洋館をはじめとする建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌大正13(1924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。
現在は周囲の埋立、林立するビルにより潮入りの機能、 海の展望は失われましたが、中島の蓬莱山をはじめとする石組の妙はかつての面影を残しております。
昭和54(1979)年6月に「旧芝離宮庭園(文化財指定名称)」として国の名勝に指定されています。
上は首都高速都心環状線。
2020/04/01 に新橋から移転。
東証一部上場企業。
会社名「ヤクルト」ではなくて「ヤクルト本社」という名前なんだね。
『株式会社ヤクルト本社(ヤクルトほんしゃ)は、日本の飲料・食品・化粧品・医薬品メーカーである。乳酸菌飲料メーカーとしては国内最大手。国外売上比率は4割。海外では39カ国・地域に進出している(2019年8月時点)。 』
ヤクルト本社 - Wikipedia
幼少期は地元でヤクルトを配ってお小遣い稼ぎをしており、大変お世話になりました。
大人になってからは工場見学でお世話になりました。
僕にとって人生でのウェートをかなり占めている企業ですね。
2015/04/23 ヤクルト千葉工場見学 - ovanの社会科見学
2011/12/08 キューピー五霞工場とヤクルト茨城工場見学 - ovanの社会科見学
2011/01/17 クラブツーリズムの旅 - ovanの社会科見学
こちらはヤクルト化粧品
2013/01/24 ヤクルト化粧品工場見学 - ovanの社会科見学
記念碑
西暦1845年(弘化2年)の春、アメリカ合衆国ニューヨーク州の捕鯨船マンハッタン号のマーケーター・クーパー船長とその乗組員は、鳥島及び伊豆諸島海域で漂流中の日本人22名を救助し送り届けた。時の徳川慶喜将軍以下幕府の当事者は、その人道的人為的に深く感謝した。
このことを記念してここに碑を建設する。
◆旧芝離宮恩賜庭園児童公園
こちらは芝離宮恩賜庭園の脇にあった無料で入れる公園。
続く。