2020/10/13 荻窪散歩 04 三栄印章/幸せ地蔵/西荻窪駅南通り会/西教寺/水口家住宅洋館/松庵文庫/西高井戸松庵稲荷神社

まだまだ東へ進む。



◆三栄印章

看板建築だね。
「まちかどの名建築 P24」参考。




◆幸せ地蔵



郵便局前にいらっしゃった。




西荻窪駅南通り会

商店街♪





西教寺



浄土真宗 開山 親鷲聖人
承安三(1173)親鸞聖人は京都日野の里でお生まれになりました。 養和元年(1182)九歳のとき青蓮院にて慈円僧正のもと出家得度され、比叡山に入られました。
 建仁元年(1201)、九歳のとき六角堂に参篭され、聖徳太子の夢告により吉水の法然聖人を訪ねられ、そこでお念仏の、教えに出遭った親鸞聖人は、のちに「自力の修行を捨てて、阿弥陀仏の本願を信じ、帰依する」と告白されています。
 承元元年(1207)念仏禁止の法難にあい、越後(新潟県)に流罪となられ、その後、常陸の国(茨城県)に移られて関東各地の人々にお念仏の教えを説き広められました。その間に『教行信證』のご執筆に力を注がれ、文暦元年(1234)六十三歳のとき京都に帰られました。
 今日残っている親鷲聖人の御述作の多くは晩年に書かれたものです。「阿弥陀如来の本願を信じ、念仏申さば仏になる」という浄土真宗の教えが丁寧に述べられています。
 多くの苦悩を逆縁として益々信仰を深められた。
親魔聖人は、弘長二年(1262)十一月二十八日、新暦一月十六日、九十歳でお浄土へ往住されました。





近くにいたネコちゃん。
耳が欠けているね・・・・。






◆水口(みなくち)家住宅洋館



登録有形文化財
参考。
水口家住宅洋館 文化遺産オンライン







◆松庵文庫

「まちかどの名建築 P42」参考。
カフェ。
facebooktwitterのページがあった。
https://www.facebook.com/shouanbunko
松庵文庫 (@shouanbunko) | Twitter






◆西高井戸松庵稲荷神社

こちらは以前お参りに来ている。
2019/07/18 02 久我山散歩 05 西高井戸松庵稲荷神社/西高井戸児童遊園/西荻南口 仲通街/花の童子/西荻窪駅 - ovanの社会科見学



 この神社は旧松庵村の鎮守で祭神は受持命(うけもちのみこと)です。
 松庵村は万治年間(1658~1660)に松庵という医者が開いたと伝えられ、安養寺(武蔵野市)の供養塔にある萩野松庵がその人ともいわれています。
境内入口には元禄三年(1690)、元禄六年(1693)銘の庚申塔があり、元禄三年のものには、「武州野方領松庵新田」と刻まれています。このことから元禄三年以前にはすでに新田開発の村のとして開かれていたものと考えられます。
 この神社は明治維新の際に廃寺となった円光寺(天台宗江戸八丁堀湊町普門院末)の境内にあったもので「新編武蔵風土記稿」の松庵稲荷の項には「上屋二間ニ二間半内ニ小祠ヲ置社前ニ鳥居ヲ立村内ノ鎮守ニシテ例祭ハ期日ヲ定メズ」と記されています。
 昭和九年に、隣村中高井戸村の鎮守稲荷神社を合祀以後、西高井戸松庵稲荷神社と称し、同十年には社殿を改築し、今日にいたっています。
 社前の五日市街道は江戸時代には「青梅街道脇道」とも呼ばれ、炭をはじめとする生活物資の輸送に大きな役割をはたしてきました。
 なお、神社の北側裏手に円光寺歴住の墓地があり、元禄九年をはじめとする没年が記されているのが見られます。
 祭日は九月十五日です。


楽殿


境内稲荷社



お狐さまミイラ
昔当稲荷神社西側に円光寺というお寺がありました
そのそばに大きな築山がありまして狐が穴を掘って子狐を育てていました。
あるときとなり村の村人が子狐を捕まえて食べてしまいました。
親狐は子狐と別れた悲しみのあまり
前足をくわえた姿で拝殿の床下から発見されたのです。
以来この狐を社にあらためてお稲荷様のお使い姫として
そのご神体を敬いお祀りしてあります。


庚申塔


鳥居1


鳥居2







続く。