厳島神社の後はフラフラしながら西へ進む。
御祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)
佐伯鞍職(さえきくらもと)
例祭日
十一月十日
御由緒
御鎮座の年月不詳
大正四年に留守口恵比寿神社を昭和三十八年に大願寺鎮守住吉神社をそれぞれ合祀した。
◆大願寺
厳島弁財天とあるね。
真言宗に属し、室町時代末期に厳島神社の修理造営権を握り、道本(どうほん)・尊海(そんかい)・円海(えんかい)と相次いで傑出した住職が出て、厳島神社諸建築の建造や復旧に当たった。また鍛冶・番匠(ばんしょう)(大エ)・櫓皮師(ひわだし)などの職人団を率い、筑前筥崎(はこざき)八幡宮・豊前(ぶぜん)宇佐八幡宮の修理造営にも当たった。当時厳島は内海の要港で、 ここに集まる京・堺などの貿易商人らとの接触も深い。尊海が大蔵経を求めて朝鮮に渡った時の見聞を、記した紙本墨書尊海渡海(しほんぼくしょそんかいとかい)日記(国指定重要文化財)、銅製朝鮮鐘(重要美術品)、米造薬師如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造阿難尊者立像(あなんしょんじゃりゅうぞう)・木造迦葉尊者立像(かしゅうそんじゃりゅうぞう)(以上国指定重要文化財)、その他多数の中世古文書を所蔵する。
総身一丈六尺(4m80cm) 重量7t 総白壇
明治の初期に焼失した護摩堂は、平成十八年四月に再建、落慶並びに開眼供養されました。総白壇の不動明王像としては日本最大の仏様です。
不動明王のお姿は、右手に、智剣(ちけん)と呼ばれる我々衆生の悩みを断ち切る智慧の剣を持ち、左手には、絹索(けんじゃく)と呼ばれる正しい道から外れた衆生を引き戻して下さる縄を持ち、背中には、我々衆生の煩悩を焼きつくす火炎を背負っています。
名称 大願寺の九本松
樹種 クロマツ(昭和48年3月1日指定)
樹高 18.00メートル
枝張 東西 9.00メートル
南北 8.00メートル
この松は口頭伝承によると、伊藤博文候が明治時代頻繁に来島され、その際に植えたと伝えられています。
重盛公(清盛公長男)厳島弁財天の神徳霊験に成服し国家安泰家門隆盛祈願のため参籠の際に境内にお手植えになられた老松。
御祭神 平清盛公
例祭日 三月二十日
御由緒 平清盛公の没後七百七十年を期に御遺德を顕彰しようとの気運が高まり昭和二十九年に創建された。
厳島神社大鳥居
参道から足場が組まれている。
◆多宝塔
厳島神社宝物殿の脇に急な階段があり、のぼったところにあった。
以前は大聖院の伽藍を構成する建物だったが、厳島神社管理下の建物とのこと。
こちらのページに詳しいことが載っていた。
宮島・厳島神社「多宝塔」【重要文化財】 | 厳島神社-御朱印
続く。