2020/11/04 関西旅行3日目 宮島散歩 07 大聖院

情報量が多いので1ページにした。



◆大聖院

勅願堂



 江戸時代、厳島神社の運営を行う別当職の役割を果たし、十数ケ寺あった社僧を率いて法会(ほうえ)や延年(えんねん)・晦日山伏(みそかやまぶし)など行っていた。天正12(1584)年仁和寺(にんなじ)の任助法親王(にんじょほうしんのう)の滞在があり、以来仁和寺との関係を深め、現在は真言宗御室(おむろ)派の大本山になっている。また16世紀後半にはここで豊臣秀吉が和歌の会を行った。
 代々の別当職は座主(ざす)と称され、その起源は12世紀高倉(たかくら)上皇平清盛などの参詣を記した「高倉院厳島御幸記(たかくらいんいつくしまごこうき)」に記されている座主とされている。


パンフレットより







観音堂







◆摩尼殿








◆包丁塚



 包丁は 調理技術者のいのちであり 家庭においては 毎日の食生活に欠かせない大切なものである 
 この塚は 永いあいだ使いはたした 包丁をおさめて その恩恵を感謝し あわせて調理した 鳥 獣 魚 菜の霊をなぐさめると共に 調理技術の向上と業界の繁栄 ならびに 包丁の おかげを受けている万民のしあわせな日くらしを祈念して 多くの包丁を供養するものである



包丁のおこり
 石器時代では 調理や、見た目をよくする料理の比重は少なくむしろ解体を目的とする「石匙」であったと考えられる、金属器があらわれるのは、弥生時代で、調理に用いたと思われる鉄製の刀物「刀子(とつす))」が発掘されている「和名鈔」では「刀子」を和名「かたな」とし、また「小刀」とも呼ばれ まだ「包丁」とはいわれていない。
 包丁の名は中国「荘子」 養生篇にでてくる料理人の名からおこったもので「包丁解牛」とあり 牛を解体することが転じて 技術の妙を賛美する言葉となった。 厨を包屋といい、包には台所の意もあり 丁は使用人、者の意で包厨にあって魚、鳥を料理する人をいったが、のちに魚類を切りきざむ包丁刀を略して、包丁というようになった、包丁は魚鶏肉を調理するものをさし、出刃包丁系のものを料理刀といい、菜を切るものを菜刀といっている
 およそ室町時代より調理刀として危包丁が出来上がってくるようであり、その目的に合わせて、二種類程度の包丁ができたと思われる。幾種類もの包丁ができたのは、近世に入ってからで、家庭において料理人のような調理をするようになってから おのずと用途に応じた刃物が必要となったのである。
 調理師が板前に座して、包刀を執って料理の奥義を極め 料理に堪能になったのは「包丁」のおかげであり、家庭にあっても現今では「牛刀」といわれる肉菜療養の包丁で、充分用がたりるようになり、本来の「包丁」の用途が失われつつあると同時に その扱いは極めて粗末にされているようである。







◆極楽観音堂







薬師堂







藍染







大師堂







◆一願大師







◆稚児大師







大師様







◆五鈷杵(ごこしょ)

五鈷杵のいわれ
 五鈷杵とは全剛石(ダイヤモンド)が物体を打ち砕く事を修味し、仏教では釈尊の説法は寸べての邪心・煩悩・悪心を打ち砕くと同時に人身に迫る諸悪魔をも打ち払う意味です。
 皆様が五鈷杵を静に撫ぜると、身にまつわる諸々の因縁や押し寄せる諸悪運を防ぐと伝えられます。
 お大師様が持っておられるのもその為です。是非、心に念じなから撫ぜてご利益をお受け下さい。







◆万福堂







◆折り鶴像







御成門







◆仁王門






後になっていろいろ調べてみると見逃してしまっているものがかなりあるね。。。
今度行ったら紙のMAPは持っていた方が良いね。

続く。