ロープウェーから弥山まで1ページにした。
天然記念物 弥山原始林
宮島の最高峰、 弥山の北側斜面に広がる森は、 「弥山原始林」として国の天然記念物に指定されている。
1913年に宮島を訪れた植物学者のエングラー博士(ベルリン大学教授、ベルリン植物園長)は、 当時植物の進化を知るうえで重要であると考えられていた「ヤマグルマ」や「マツブサ」を見て大変喜んだ。博士の薦めもあり1929年に弥山原始林は国の天然記念物に指定され、さらに1996年には、厳島神社とともに世界遺産のコアエリアに指定された。
弥山原始林は大きく分けて3つの要素からできている。
中心となるヒマラヤ山地の麓から中国の雲南地方、華南地方、台湾、 琉球列島を経て日本の南西部に広がる常緑広葉樹の森である。この森はカシやクスノキ、ツバキなどの樹木が構成する。温帯の常緑広葉樹林はかつて地中海沿岸をも覆っていたが、現在この地方に残るものはほとんどない。これら常緑広葉樹に加えて、熱帯地方の高山植物が北上するに従い高度を下げて分布する植物がある。「ミミズバイ」がこれにあたり、宮島では沿岸近くから主に低地で見ることができる。三つ目の要素が「モミ」や「ツガ」などの日本固有の植物群である。これら三要素が混ざり合いながら弥山原始林を構成する。「モミ」と「ミミズバイ」が同じ森に混生するのは、世界中でほぼ宮島だけである。
この弥山原始林は、 かつて瀬戸内海沿岸地方にはどこにでもあるありふれた森であった。しかしながらこのような自然林は、人の活動範囲の広がりとともに失われ、現在ではほとんど残っていない。この地方は温暖なうえ海山の生産物にも恵まれ、有史以前から人の暮らす場となっていたからである。弥山原始林は、 宮島全体が厳島神社のご神体として信仰の対象とされたため、奇跡的に残ったこの地方の極相林である。
この森は、この地方の長い自然の歴史を今に伝えるものである。同時にこの森は、ただの記録ではなく生きた生物の集まりとして存在することに意味がある。この森がある限り、 この地方の森を再生しようとした時にここを種や苗木の産地とすることによって、いつでも瀬戸内海沿岸地方の森の典型を再生することが可能である。
現代に伝えられた過去を未来につなげるといった意味からも、重要な意味を持つ森なのである。
◆榧谷(かやたに)駅
乗り換え。
奥に写っている建物が榧谷駅。
◆獅子岩駅
◆獅子岩展望台
[今江g
晶洞群(しょうどうぐん)
この附近の「花こう岩」には、大少の「がま」が発達しています。
「がま」には、「后英」や「カリ長応」のきれいな結晶が見られます。
注
がまとは岩応中の空洞に鉱物の結晶が密集しているもの
獅子岩展望台から弥山山頂まで登山。
思ったよりきつかった・・・・。
大正2年にベルリン大学教授のアドルフ・エングラー博士が宮島を訪れ弥山に登山した際、ヤマグルマやマツプサなど植物系統学上の,貴重な植物を見て、大いに感激した。この世界的な、植物学者は「私は、できるならば一生ここに住んでここで死にたい」とまで弥山の植物を激賞したと伝えられている。彼の強いすすめで、三好学博士が天然記念物の指定を進言し、昭和4年に国指定、 昭和32年には特別保護区になった。面積は158、7ヘクタールに及び弥山の北斜面を占める。ツガ林とアカガシ・ジロガシ・ツクバネガシなどを伴なうアカマツ林から構成され、西南日本の暖帯から中間帯を代表する森林で、瀬戸内海の島に残る極相林として貴重な存在である。
消えずの霊火堂
大同元年(806年)弘法大師空海御修行の護摩の火で、1200年間昼夜燃え続けている「消えずの霊火」を護るお堂です。大茶釜の霊水は、 万病に利き目があると言われています。
この「消えずの霊火」は、広島平和公園の 「平和の灯」の元火の一つになっています。
◆三鬼堂
続く。