2020/11/04 関西旅行3日目 宮島散歩 11 豊国神社/五重塔/塔之岡隧道/誓真釣井/塔の岡/龍髯の松/幸神社

1まだ厳島神社周辺。
少しずつ北東へ進む。



◆豊国神社(千畳閣)



 この建物は、豊臣秀吉公が戦没武士を慰霊する為、天正15年(1587)安国寺恵瓊に命じ建立した大経堂です。
 その広さから俗に千畳閣と呼ばれ親しまれています。
 明治元年(1868)に閣内の仏像を大巌寺に移し、明治5年(1872)秀吉公を祀り、豊国神社となりました。
 重要文化財に指定されています。

(チケット裏面より)














五重塔

 隣の五重塔は、応永14年(1407)建立です。この塔の心柱は、下まで達しておらず二層目で止まっています。

(豊国神社チケット裏面より)








◆塔之岡隧道










誓真釣井(せいしんつるい)



 誓真はもと伊豫(いよ)の人で、天明のころ厳島に来て神泉寺(しんせんじ)の番僧となり、 竹林庵(ちくりんあん)に住んでいた。種々の公益事業を行なったことで知られている。飲料水の不足に苦しむ島民のため、各所に井戸を掘った。それらは今日誓真釣井とよばれている。 また石段を築き、道路を石だたみにした。 宮島名産の「飯杓字」も、島民に生業を与えるため、 誓真が弁財天の琵琶の形から着想して島民に教えたものという。








◆塔の岡



 五重の塔があるのでこの丘を塔の岡という。毛利元就(もうりもとなり)が陶晴賢(すえはるかた)を襲撃した厳島合戦の古戦場である。
 弘治元年(1555)9月21日晴賢は大軍を率いて上陸し、ここに本陣を構え、毛利方の宮尾城を攻撃した。元就は主力をもって、同30日夜暴風雨をついて包が浦に上陸し、翌朝未明博奕尾(はくちお)を越えて襲いかかり陶軍は不意を突かれて大敗した。この合戦で内海地域の制海権は毛利の手に移った。








◆龍髯の松

ものすごく立派な松であることに違いないが・・・・・・。
写真に写っている箱は鑑賞料を入れるものだった。








◆幸神社



祭神 猿田彦神
由緒
かつては疫病の神・牛王が祀られ社殿の背後には陰陽石があり道祖神御神体といわれ道祖神社とも呼ばれていた。
神社前の通りには東町から厳島神社に参詣する道筋に当たり未完の「金鳥居」がありこの辺りは党内でも屈指の賑わいを見せ1800年代初めごろから神社の名も幸神社と呼ばれるようになり町の名前も「牛王町」から「幸町」に変わった。
幸町の住民は疫病封じや火難・水難の神・子宝の神・日々の幸をもたらす神として大切に祀っている。
例祭日には陰陽石を参拝でき参拝者には「中秋の名月」を楽しんでもらうためのスズキとハギが配られる。








続く。