2020/11/05 関西旅行4日目 広島・呉散歩 05 呉駅前/新白島駅/洞門寺/城北駅/白鳥稲荷パーク/軍馬之碑/部隊跡記念碑

呉駅から広島駅の一つ先、新白島駅へ。




◆呉駅前・呉駅





海色の歴史回廊くれ


呉市観光案内




広島方面へ!





広島「新白島駅」からは南下。
史跡を巡りつつ広島城へ向かう。




新白島

広島の一つ先にあるJR新白島駅。
あと一駅だったのに広島で乗り換えなければならなかった。



正面がJR
左側が「アストラムライン








◆洞門寺



天正十七年 (1589)毛利輝元が、広島城築城を開始。二年後、輝元は、広島城主となる。慶長四年(1599年)頃、広島城が完成する。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦い後、輝元は德川幕府から減封の刑を受け周防・長門国(山口県)へ移封となり、長州藩の藩祖となる。
同年、福島正則が、尾張国(愛知県)清洲藩より入封。四十九万八千石を領し、広島藩の藩主となる。元和五年(1619)正則は、徳川幕府から改易の刑を受け、高井・魚沼郡(長野県)へ移封となり、高井野藩の藩祖となる。
同年、纪伊・伊勢国 (和歌山県)纪州藩藩主 浅野長晟が、広島藩 の藩主に確定する。
当時、浅野家の家臣であった小野觉雲 (当寺開基)は、長晟から、広島藩入封準備の任を命ぜられる。覚雲は、数名の家来を引連れ広島入.し、この地に有った茶屋
(毛利輝元広島城築城の際、外来客などを供応した建物) を使い、入封の準備を行う。
同年、長晟が入封。四十二万六千十石を領し、広島藩の藩主となる。覚雲は、これらの功績を賞され、その茶屋も合せ、千五百石を拝領し、この地 (現在の当寺建立地)に小野家の屋敷を建立する。
元和七年 (1621年)覚雲は、小野家の屋敷の一部を割いて当寺を建立し、洞門院と称する。玄庵嫩鶴禅師(海雲寺三世)を開山として迎え、覚雲を開基とし当寺を小野家の菩提寺として開創する。


さする石

さする石の由来
このお石は、秋葉権現のご神体で、火を鎮める神様です
このお石に水をかけ、たなごころで擦(さす)り析念すればさする石が「ご利益の石」となり、火を鎮める事は勿論諸願成就のご 利益を与えて下き いますでしょう
どうか、心から祈念され、多くのご利益をお受け下さい。







◆城北駅

アストラムライン城北駅。







◆白島稲荷パーク

なぜ、ここが「パーク」なのかがよくわからない・・・・。
大野石油本社敷地内にあった社を1991年に社殿、鳥居、庭園等を新たに造成したとのこと。


白鳥稲荷不動堂



平成七年戦後五十周年の大きな節目を迎えるにあたり、多くの戦争死没者の供養と、この地域の人々の幸福と、安全を願い、土地を守り、お参りする人も守って下さる不動明王を祀らせていただき、辻堂を建立させていただきました。









◆軍馬之碑

特に説明板などは無かった。




ここからみた広島城







◆部隊跡記念碑

こちらも説明板などは無かった。





続く。