2020/11/12 上石神井散歩 03 牧野記念庭園記念館

以前訪れたことがある「牧野記念庭園記念館」へ。

前回の日記
2016/01/11 part4 牧野記念庭園 - ovanの社会科見学




牧野富太郎胸像



 牧野富太郎先生は、大正十五年都塵を避けて、この地大泉に居を構えられ、我が国の植物学界に陸続として高説を発表されました。この間、当時なお武蔵野の抒情を有していた大泉野外、四季とりどりの花卉(かき)の移り変りをも楽しまれ 又、園内には奇草珍木を植栽して、その生育に多大の愛着を示された。
 昭和三十二年、先生はこの邸内で九十四才の天寿を全うせられたが、この学問の聖地をいつまでも守り、永く後世に伝え残すため、ここに旧邸を牧野記念庭園とし、文化遺跡として広く公開することとなった。
 なお、牧野先生蒐集(しゅうしゅう)の腊葉(さくよう)は別に東京都立大学牧野標本館に整理保管され、学究の用に供せられている。



石碑



家守りし妻の恵みや我が学び
世の中のあらむかぎりやすゑ子笹
結銅子

 寿衛子夫人は、借金だらけの生活苦に耐えながら、好きなことひとつせず、常に牧野博士の研究を第一に考え尽してきました。●●の偉業は夫人の内助の功の購物と言われています。
 博士は、昭和二年に発見した笹の新種に「スエ子笹」の和名とSasa Sueko ana Makinoの学名を付け夫人の名を永久に世界にのこしました。翌年、病名不明のまま他界した夫人のために右の二句を詠んでいます。
 谷中の墓地には、スエ子笹と共にこの二句を刻んだ墓碑が建っています。
 この石碑は、昭和六十年牧野書太郎博士展に際し、日原勇氏より寄贈されたものです。

●の個所は文字が消えてて判読不明だった。




 昭和三十二年一月十八日、牧野博士は逝去されました。
 東京都は、博士の住居跡を「牧野記念庭園」として保存するという意志を、博士の没後わずか三ヶ月足らずという短期間で表明しています。
 これは遺族代表である博士の次女・牧野鶴代氏から、東京都知事宛に植物標本と樹木の寄付申し込みがされたことから始まっています。博士の没後にこのような短期間での意志決定がなされたことは、名誉都民であった博士の人徳の証といえるでしょう。
 その後、昭和三十三年四月ころに東京都による庭園整備が終わり、その管理を含め練馬区からの強い移管の要請により、同年十月一日に練馬区への移管が正式に行われ、同年十二月一日に開園しています。
 現在、来園者は、区民はもとより全国各地から訪れており、平成九年には文化財として練馬区登録名勝に登録されています。
 また、平成二十年の開園五十周年を契機とし、平成二十一年には国の登録記念物(遺跡および名勝地)に登録、さらに老朽化した施設の更新と展示品保存環境の向上を目的とした大規模な改修事業を行い、平成二十二年、新たに開園し、今日に至るものです。


庭園






記念館

常設展示、企画展示を見ることができた。




書屋









そういえば、また冬に来てしまったんだね。
今度は違う季節にも訪れてみたい。
東京都立大にある牧野標本館も行ってみたいなあ。
植物系統分類学研究室 | 東京都立大学 牧野標本館





HPはコチラ↓
牧野記念庭園情報サイト


場所はコチラ↓



休館日
『火曜日(火曜日が祝日のときは開館し、翌日休館) 年末年始(12月29日~1月3日)』
と、ありましたが行かれる方は事前にHPなどでチェックしてから行ってくださいネ!





続く。