2021/01/11 高島平散歩 01 高島平駅/高島平商店会/徳丸ヶ原公園/ こども動物園高島平分園/三田線高架/お地蔵様/高島平図書館

24時間勤務アケで、高島平駅周辺を散策。



高島平駅周辺を散策。



高島平駅

スタートの都営三田線高島平駅









◆高島平商店会

商店街♪








◆徳丸ヶ原公園


竣工記念碑


徳丸ヶ原碑



 徳丸ケ原は板橋区中西部、現在の高島平、新河岸、三園などかなり広い地域の荒川南岸低地一帯の総称です。徳川幕府の鷹場でしたが、八代将軍吉宗の時代から鉄砲の試射場となり、寛政四年(179)に幕府の正式な大筒稽古場となります。徳丸ケ原は、天保十二年(1841)、江戸時代後期の砲術家であった高島秋帆(しゅうはん)によって西洋砲術の実射訓練が行われたことで一躍有名になりました。
 天保十一年(1840)、アヘン戦争など の情報を得た秋帆は西洋砲術の採用などを幕府に建議、砲術の実力を確認するための洋式調練と実射がこの地で行われました。この徳丸ヶ原での調練の成功で、高島流砲術の名声が高まりました。 この碑は秋帆が訓練の際に指揮した弁天塚に建てられていたものを移したものです。



 高島平・三園・新河岸一帯は、江戸時代徳丸原と呼ばれ、台地寄りに水田がありましたが、荒川寄りには近在の村々の入会地として秣(まぐさ)や肥料のための草刈場が広がっていました。
 当地は、当初幕府の鷹場でしたが、のちに鉄砲稽古場として 人砲や鉄砲の稽古が行われるようになりました。天保十二 (1841)には、五月七〜九日の三日間にわたり、長崎の町年 寄高島秋帆によって初めての西洋式砲術調練が行われました。
 秋帆は、弁天塚(現、新高島平駅)付近に陣を構え、門弟ら に筒袖上衣に裁着袴(たっつけばかま)、頭に黒塗円錐形のトンキョ帽という兵装 束をさせて、砲兵・騎兵・歩兵の三兵による銃陣(じゅうじん)を行いました。この時の演習の様子は、区立郷土資料館で所蔵する「高島四郎太夫砲術稽古業見分之徳丸図」に描かれています。 明治時代になると、徳丸ヶ原は民間に払い下げられて開墾が行われ、最終的に約四百ヘクタールの徳丸田んぼ・赤塚たんぼと呼ばれる一大水田地帯が出現しました。
 昭和四十年代になると、東京周辺の住宅難の解消を目的に開 発が行われ、高層団地や地下鉄の建設、住宅地の分譲が進められて現在の街が形成されました。高島平の地名は、当地で砲術訓練を行った高島秋帆にちなんで付けられたものです。



氷が張っていた。
寒い。。。。







◆こども動物園高島平分園









このこども動物園は1979年の国際児童年を記念し板橋区のこどもたちのすこやかな成長を願って建設したものです。







三田線高架



こちらを通って三田線の南側へ。







◆お地蔵様

こちらはgoogle mapに載っていなかった。








◆高島平図書館

成人式だねー!







続く。