2021/01/11 高島平散歩塔 03 番場口の庚申塔/延命地蔵尊/稲荷神社/文字庚申塔(徳丸5)/徳丸三ツ和公園/窪口の庚申塔/馬頭観音

ここでも細い路地を東へ進む。



◆番場口の庚申塔



 古代から行なわれていた庚申信仰は、人の体内にいる三尸という三匹の虫が、いつも人の罪や過ちを観察していて、 六十日ごとに回ってくる庚申の日に人が眠りにつくと、体内から抜け出して天帝に罪や過ちを報告し、天帝から寿命 を削られるという考えにもとづいて発展したものです。そこで人々は庚申の日の夜に三尸が抜け出さないように集まり、徹夜で祈禱や飲食を行いました。この組織が庚申講で、 江戸時代に広まりました。また、その講の継続を記念して建てられた石造物が庚申塔です。
 番場口の庚申塔は、文久二年(1862)に徳丸村講中 により建てられたもので、台石の向かって左面には 「東 にしだい道/西 ふきあげ道」と刻まれており、道標もかねていました。
 この庚申塔はその刻銘どおり、もともとは西台から成増方面の台地下の崖線に沿って通っていた峡田道と呼ばれる 道に面して建っていました。現在の赤塚公園交差点のあた りです。その後、高島平地区の造成や四葉地区の土地区画整理事業などにより二回移動した後、平成十六年六月にここに移りました。昔は、紅梅公園から赤塚公園交差点あたりまでが番場という地名でしたので、「番場口の庚申塔」と呼ばれています。移動はしましたが、今も番場地区内に 地域の歴史を伝えています。







延命地蔵







◆稲荷神社







◆文字庚申塔(徳丸5)







◆徳丸三ツ和公園







◆窪口の庚申塔



 人の体内には三尸という三匹の虫がいて人の罪や過ちを観察しており、庚申の日(六十日に一回まわってきます)に人が と三尸が体内から抜け出して天帝に罪過を報告し、 天帝によって寿命が削られると信じられていました。そこで、庚申の日の夜に人々が集まり、三尸が抜け出さないように祈祷や 飲食をともにして徹夜をするという風習がありました。この集まりが庚申待・庚申講で、その集団によって建てられたのが庚申塔です。
 この庚申塔は、寛延三年(1750)に徳丸郷講中十二人 により、この周辺の小字「窪」に造立されたもので、窪口の 庚申塔と呼ばれています。最初に建てられた場所ははっきりしませんが、長い間安楽寺参道入口脇に立っており、平成十七年九月にこの場所に移動しました。なお、この塔を造立した講は現在も「窪口庚申講」として存続し、活動しています。
 このように、この庚申塔は当初の位置からは動いていますが、 今なお窪地区に立ち、この地域の民間信仰及び歴史を伝える貴重な資料です。







馬頭観音









続く。