2020/01/13 西台散歩 04 観音堂/とりげつ坂/新道の坂/西台山不動尊/谷津坂/西台山円福寺/庚申塔(西台4)

ここでも徐々に南へ進む。
あまり大きな通りがない。
谷津坂の勾配はかなりあったなあ。



観音堂



二股の道右側が次の「とりげつ坂」。








◆とりげつ坂

こちらもgoogle mapには載っているが現地では標識など見当たらなかった。


こちらに詳しく載っている。
とりげつ坂(板橋区西台)
profile/とりげつ坂








◆新道(しんどう)の坂

こちらもgoogle mapには載っているが標識など見当たらなかった。


こちらに詳しく載っている。
新道の坂(板橋区西台)








◆西台山不動尊


庚申塔 他


水掛不動尊


参道入口








谷津坂

西台山不動尊から坂下方向。



西台山不動尊から坂上方向。
こちらもgoogle mapには載っているが現地では標識など見当たらなかった。


こちらに詳しく載っている。
谷津坂(板橋区西台)
profile/谷津坂








◆西台山円福寺


円福寺と雲版・月待板碑

 曹洞宗西台山を号し、文明十一年(1479)太田道灌が川越に開創し、慶長十三(1608)年にこの地へ移転した。
 かつては関東屈指の名刹、西台の大寺として知られ、慶安二(1649)年には幕府より寺領二十石の朱印地を与えられた。しかし、弘化二(1845)年の火災以降は往時の盛大さを取り戻せなかった。
 ここの寺宝として雲版と月待板碑が残されている。
 雲版は縦三十八・横三十五センチの青銅製で、太田道灌が当寺を創建した際、茶室に掛けたものと伝えられている。元来禅家の仏具の一種であるが、その豪壮な作風には目をみはらされるものがある。
 月待板碑は浄土信仰と月待信仰とが結合したとみられる遺物で、この板碑は文明十七(1485)年の銘があり、弥陀一尊画像を陰刻した芸術的香りの高い、都内でも有数の板碑といわれる。


園福寺の文化財

 圓福寺の寺宝については、天保七年(1836)、 江戸神田雉子町の名主であった斎藤幸成(月岑) が版行した『江戸名所図会』の中で、永正十年(1513)に圓福寺に宛てた多田彦六老母寄進状と、 太田道灌が茶室で使用していたとされる明徳二年 (1391)の雲版が、長谷川宗秀(雪旦)の挿画とともに紹介されるなど、江戸時代から広く知られていました。これらは圓福寺文書、明徳二年 雲版として区の文化財となっています。
 このほかの文化財としては、文明十七年(1485)の圓福寺月待画像板碑やコウヤマキがありますが、平成二十年には、寺所蔵の開基太田道灌像が、文化十四年(1817)に国学者小山田与清が記した『擁書樓日記』に見られる、江戸近辺 の道灌ゆかりの六ケ寺に納められた木像の一体で あるということが判明し、新たに登録されました。
 なお、これらは、弘化二年(1845)に起きた当寺の大火の被害を免れた貴重な資料です。


鐘楼


孔雀?

シートがあってよく見えなかったが、シルエットから孔雀だと思う。


円福寺コウヤマキ



 樹種、こうやまき(スギ科)。樹高、約20m。目通り、約290cm。根回り、約330cm。樹齢、約400年(推定)。
 この高野槙(こうやまき)は、円福寺が川越から西台に移転してきた当時、紀州高野山より移植したとの伝承があり、霊木として信仰を集めてきた。
 現在でも、十分な樹冠の広がりを持ち、生育の環境も良好で樹勢は旺盛である。また、樹種としても日本の特産種であり、区内でも珍しい巨木である。
 平成六年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。









庚申塔(西台4)








続く。