2021/02/02 氷川台散歩 02 金乗院/東本村庚申講/渡戸橋跡/横寺橋跡/円明院/お地蔵様/氷川台諏訪神社

金乗院からは細い路地を南下。
お地蔵様からは東へ移動。



金乗院



 金乗院は、如意山金乗院万徳寺といい、真言宗豊山派(ぷさんは)本尊は愛染(あいぜん)明王です。(豊島八十八ヶ所第三十二番札所)
『新編武蔵風土記稿』によると、開山僧は行栄(ぎょうえい)、開基は木下大炊助(おおいのすけ)とされ、寺の沿革によれば、僧行栄が文禄年間(1592~6)に開いたと記されています。
 墓地には下練馬村名主であった内田家や木下家の墓があります。

練馬区指定有形文化財
金乗院御朱印状」  平成九年(1997)三月登録 平成十四年(2002)二月指定
 慶安二年(1649)の三代将軍家光から万延元年(1860)十四代家茂まで代替わりごとに将軍が寺領十八石九斗余を安堵した朱印状九点です。(非公開)

練馬区登録有形文化財
金乗院山門」 平成三十一年(2019)二月登録
  築後百年以上は経過していると考えられます。形式は薬医門、屋根は切妻造りで、桟瓦葺きです。区内に残る門では古く、梁などの装飾に江戸時代後期の特徴が残されています。

練馬区登録有形民俗文化財
金乗院の一石六地像」 平成六年(1994)三月登録
 明暦二年(1656)の銘があり、舟形の石に地蔵苦薩立 像六躯が浮き彫りされている月待供養塔です。

練馬区登錄天然記念物  「金乗院の大イチョウ」平成二十四年(2012)一月登録
 本堂前に生育する高さ18m、目通り幹囲5m(区内最大) 、将軍家光のお手植えと伝ぇられているイチョウです。


大師堂


鐘楼


山門


参道


下練馬道

 この道は、旧下練馬村の今神(いまがみ)・本村・重現(じゅうげん)・早淵など、村のほぼ中央を通る主要な道の一つでした。
 旧川越街道を板橋区上板橋一丁目(旧上板橋村字七軒家)付近でわかれ、練馬区に入ります。錦の金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中之橋で石神井川を渡ります。そこからはさらに練馬城址の東側(豊島園駅西側)を通って清戸道と交差し、中村の良弁塚前から鷺宮福蔵院方面へ通じています。
 下練馬村北端の徳丸本村・脇村との境を川越街道が、南端の中新井村との境を清戸道が 通り、両道を結ぶ位置に富士大山道がありま す。富士大山道は名前の示すとおり、主に信仰の道でした。それに対し、下練馬道は村の中心から近郷の村々へ通じる便利な生活の道でした。








◆東本村庚申講



下記、瀬戸橋跡すぐ脇。








◆渡戸橋跡

下は田柄川(暗渠)










◆横寺橋跡

下は田柄川(暗渠)










◆円明院

本堂は工事中。



現在はこちらにご本尊様がいらっしゃるとのこと。



 円明院は、慧日山円明院西光寺といい真言宗豊山派の寺院です。豊島八十八ヶ所の第二十七番札所で、本尊は不動明王です。
 開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名を刻んだ文亀二年(1502)の板碑があります。また、弁財天座像を線刻した文亀元年(1501)のみごとな板碑があります。この板碑は、大正四年(1915)に寺の裏山の土窟から偶然発見されたもので、造立当時は田柄川の清流が門前を流れる風景が美しく、水との関係のある弁財天を信仰したものと思われます。村人たちはこれを懇ろに供養し、穴守弁財天として祀りました。毎月三日、二十一日の縁日には多くの参詣人で賑わったといいます。
 参道には「血の道地蔵」と刻んだ明治二十五年(1892)の地蔵菩薩立像があります。別名「いぼ地蔵」とも呼ばれ、この地蔵菩薩に祈るといぼがとれるといいます。また、墓地の中央億には延宝二年(1674)の石造の大日如来座像があります。舟形の石に童形をした法界定印を結ぶ胎蔵界大日如来が空・風・火・水・地の五輪塔二基に支えられる珍しいものです。
 この他に、寛政六年(1794)の彫刻に優れた三面八臂の馬頭観音座像などもあります。


山門脇の石塔群



山門








◆お地蔵様









氷川台諏訪神社


稲荷神社









続く。