2021/02/25 北池袋散歩 03 地蔵堂/東京佛光山寺/みやこ湯/中丸町歩道橋/熊野町熊野神社/熊野町ジャンクション/中丸橋

山手通りの少し西側の細い路地を南下。
熊野町熊野神社から山手通りを超えて東へ進む。



地蔵堂








◆東京佛光山








◆みやこ湯

銭湯♪








中丸町歩道橋

下は川越街道。









熊野町熊野神社

こちらのページでは「中丸熊野神社」となっていた。
中丸熊野神社|板橋区熊野町の神社、旧中丸村の鎮守


熊 野 神社
 御祭神は、伊佐奈美命、速玉之男命事解之男命です。
 もとは熊野宮とも熊野三社権現とも称し、また単に熊野社とも呼ばれました。
 社伝によると、創建は応永年間 (1394~1428)に豊島郡中丸村に移住して来た宇多天皇の子孫にあたる庭田氏兼(後に岩田と改姓)が、一族の氏神として熊野権現を勧請した際で、天正十五年 (1587)に氏兼五代目の子孫忠経 が、現在の地に遷したといいます。明治二年(-八六九)の社寺取調下案には、天正年間の検地帳に当社が記載されているとありますので、この頃には現在の場所に鎮座していたことがわかります。以降、中丸村周辺の鎮守として村人から崇敬を集めて来ました。
 大正二年 (一九ー三)に氏子らにより本殿が新造されましたが、昭和二十年(一九四五) 五月の空襲で社務所共々焼失しました。同二十三年に仮社殿が再建され、同四十年から四十三年にかけて本殿や拝殿、社務所などが再建されて境内の整備が行われました。
当社で所蔵する古文書は平成三十年度に板橋区登録有形文化財となりました。


伏見稲荷



おもかる石



石灯龍の前で顧い事を祈り灯能の上の石を持ち上げる。
その時に感じる重さが想像より重ければまだ努力の必要があり、軽ければ顧い事が叶いやすいと言われている占い石である。
「お稲荷様のおもかる石」として地域に親しまれている。
※指を挟まないようご往意ください


戦死者之碑



 此処に建立されております「戦死者之碑」は、支那事変・大東亜戦に、旧板橋三丁目より出征し、戦死された、百三十五柱の方がたの霊を慰め、国家の平和を願い、氏子有志・ご遺族の方がたによって、昭和三十二年三月三日に建立されたものであります。
(碑の裏面に建立記が刻んてあります)
「戦死者之碑(落款(らっかん))・押印)」の碑題文字は、昭和天皇の御妃(きさき)、良子皇太后陛下(ながここうたいごうへい か)の兄宮、久邇(くにの)宮朝融(あさあきら)殿下の肉筆を彫刻したものであります。なお、三月三日の除幕式には、殿下の御臨席をいただき、まだ神社の復興もなされぬ荒れ果てた境内に、多くの遺族の方たちが殿下をお迎えして、厳かな中にも盛大に執行されたのであります。
 黒御影の献花石は、終戦五十年を記念し、岩田成三氏よりご奉納いただいたものであります。



観音様


厳島神社


不動尊


地蔵尊


楽殿


鳥居


境内図







熊野町ジャンクション



熊野町ジャンクション(くまのちょうジャンクション)は、東京都板橋区及び豊島区にある首都高速道路5号池袋線中央環状線を結ぶジャンクションである。
周辺の地名は、板橋区熊野町中丸町、豊島区池袋本町、池袋である。高架下は山手通りが地下、国道254号(川越街道)が地上を通る立体交差となっている。 』
熊野町ジャンクション - Wikipedia







◆中丸橋

下は矢端川(やばたがわ)
『谷端川(やばたがわ)は、東京都豊島区および北区、板橋区、文京区をかつて流れていた河川。現在はほぼすべての区間が暗渠の下水道幹線となっている。 』
谷端川 - Wikipedia
しばらくお付き合いすることになる川だ。








続く。