2021/02/25 北池袋散歩 04 本町子育地像尊/池本だんだん公園/池袋本町三丁目児童遊園/池袋氷川神社/池袋富士塚/中央通り商店会/小松湯

細い路地を南東へ歩き、東武東上線北池袋方向へ歩く。



◆本町子育地像尊








◆池本だんだん公園







◆池袋本町三丁目児童遊園







◆池袋氷川神社



建速須佐之男命を主神としておまつりし、古い時代から今日にいたるまで、池袋村の鎮守、氏神さまとしてこの土地に住む代々の人々の守り神として崇敬されてきました。
埼玉県大宮市鎮座の氷川神社武蔵国一之宮、平安時代延喜式神名帳所載の官幣大社)から分かれた神社とも言われています。
池袋の名は、今から四百三十年前の室町時代永禄二年(西暦1559年)の「小田原衆所領役帳」に「武州豊島郡池袋村」として書かれ当内の長崎・菅面(巣鴨)・駒込・雑司谷・高田とともに当時すでに村が形成されていたことが記録されています。
天保元年(1830)の「新編武蔵風土記稿」の池袋村の条に「氷川社 村ノ鎮守」の記述があります。
昭和の大戦に際して、東京大空襲の災禍にあいましたが、氏子中の一致協力により戦後の混乱下にもかかわらず御復興を成し遂げました。
現在の御社殿は、昭和四十年の御造営氏子総奉賛事業として竣功した戦後二度目の建築です。
当神社の境内から、およそ三千五百年前の縄文時代後期に使用されたと推定される土器片が発掘採集されています。また明治時代に境内から谷瑞川にいたる付近一帯から発見された貝塚は「池袋村貝塚」として知られ、曲玉、菅玉、土偶なども出土しています。この土地で生活した古代人の様子がうかがえますが、これは豊島区歴史年表の最初の項目を記すものです。


境内社


鳥居1


鳥居2








◆池袋富士塚

池袋氷川神社境内。
七月一日のみ開山とあった。



 富士塚は、さまざまな理由から富士登山ができない人たちも、これに登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られるとして、江戸時代後期以降、現東京都域および近隣地域に各富士講集団を単位として築造されたものである。高さ約5m、東西幅約13m、南北幅約18mを測り、全山がボク石で覆われている。登山道は正面部分に電光形に設けられており、その道筋ははっきり確認できる。
 この池袋富士塚は、明治四五年(1912)六月に池袋月三十七夜元講によって築かれたものである。塚内に造立された講碑から、歴代先達の名前や近隣の富士講集団とのつきあいの様子が知られる。一般に、富士塚の石造物は、頂上に奥宮、中腹向かって右には小御様社をあらわす石向、
中腹向かって左には烏帽子岩を配置するのを基本としている。池袋富士塚の石造物は、こうした特徴を備えているほか、経ヶ岳(日蓮ゆかりの霊地)を示す題目碑、合目石、講碑、教祖角行像、一対の天狗像、さらには胎内が配置されており、充実した石造物群を構成している。
 画豆島区に残された数少ない富士塚のひとつとして、また池袋本町地区に展開した民間信仰を考えていくうえでも貴重なことから、平成十年(1998)六月に東京都豊烏区指定史跡となり、保存がはかられている。







◆中央通り商店会

商店街♪









◆小松湯

銭湯♪








続く。