2021/02/27 豊島長崎散歩 07 立教通り商店街/立教大学/旧江戸川乱歩邸/洞雲寺/功雲院/祥雲寺/要町駅

東京メトロ要町駅周辺を散策後、要町駅でゴール。



◆立教通り商店街










立教大学











◆旧江戸川乱歩

調べると立教大学の一部になっているね。
参考
旧江戸川乱歩邸 | 立教大学





立教通り商店街にあった像。
池袋はふくろうが多いね。









◆洞雲寺

中へ入れなかったので外からお参り。



 竜泉山洞雲寺は数少ない黄檗(おうばく)宗の寺院である。 黄檗宗は江戸時代の承応三年(1654) 中国の福建省上り来朝した隐元隆疴が開いた禅宗の一派であり、本山は京都府宇治市にある黄檗山万福奇である。
 当寺は、もと臨済宗妙心寺派平林寺の末寺であったが、寬文年中(1661~73)に住職の平石道樹が(へいせきどうじゅ)が、隐元禅師と共に来朝した独湛性瑩(どくたんしょうけい) (万福寺四世)の弟子となったため、黄檗宗に転じたと伝えられる。開山は独湛禅師、 中興開基は平石和尚とさ札ている。
 当寺はかって文京区関口町にあり、江戸時代には近くの椿山八幡宮、 水神社、関口八懵宫、竜隠庵(りゅうげあん)を管理していたが、大正三年に現在地に移転した。竜隠庵は神田上水の普請に加わった松尾芭薫が住んだあたりといわれ、いま関口芭蕉として著名である。
 当寺には、寛政十年 (1798)に俳諧美濃派玄武一門の人々による松尾芭蕉、梅花(蕉門十哲の一人で美濃派祖、各務支考(かがみしこう))・玄武(神谷玄武)の位牌が現存し、墓地には森竭外の『渋江抽斎』に登場する医師で考証学者の森枳園(きえん)の墓などがある。










◆功雲院



鳩峰山 功雲院
 鳩峰山功雲院は、本山は福井県永平寺と神奈川県鶴見の総持寺禅宗曹洞宗に属し、元高輪泉岳寺の塔中である。
 開基は京都福知l 山藩祖朽木河内守元綱の息女で堀采女正直魔の正室・功雲院殿一鑑妙純大姉である。慶長十八年(1613)、開闢の組一松宗全和尚を迎えて、泉岳寺境内に人命救助の鳩供養のため観音堂を建立したのが始まりである。
 その後泉岳寺第二十三世住職心光海印大和尚が、開山(第一世) となり、泉岳寺の塔中となった。泉岳寺には歴代の福知山藩主・福島二本松藩主等の墓があるため、その家臣の墓が現在も当院に残っている。
 明治四十三年( 1910)に墓地を現在の地に移転し、その後本堂・庫裡・檀信徒会館を建立し、今に至っている。

鳩寺と呼ばれる由来
 堀家に嫁いだ開基さまが、十八歳の時病気になり、実家の朽木家に帰り養生中に、鳩が「この薬を煎じてお茶のかわりに飲めば治る」との夢を三晩続けてみたのである。この事を侍医に話したところ、それは大変良い薬(三枝九葉草と言われている)であるから飲みなさいといわれ毎日続けているうちに、いつとはなしに全快した。
 四十二歳の時朽木家の菩提寺泉岳寺内に観音堂を建立し、有髪のまま鳩の供養をし、疲れた時は実家へ帰り養生し、元気になれば観音堂へ戻り余生を過し、八十二歳でなくなった。このことから誰れとはなく功雲院を鳩寺と呼ぶようになった。












◆祥雲寺



 祥雲寺は後北条氏重臣江戸城主遠山隼人正景久によって、永禄七年(1564)に江戸城和田倉門内に駒込吉祥寺の末寺として創建されたのが始まりで、開山は吉祥寺安充和尚である。当初は景久の室(北条上総介綱成の娘)の菩提所として法号にちなみ浄光院と称し、永禄七年に戦死した景久の法号から瑞鳳山浄光院と号した。
 天正十八年(1590)後北条氏滅亡にともない遠山氏も退転したため、しばらく吉祥寺の隠居所となり、神田台(駿河台)、小日向金杉、小石川戸崎台と移転した。寛永六年(1629)に信州松本藩戸田氏が檀越となり、数度の火災の復興に際しても多大な尽力をした。宝永六年(170)、五代将軍徳川綱吉の死により御台所が落飾して浄光院殿と称したのち憚かり、戸田氏最初の檀越康長の法号により瑞鳳山祥雲寺と改号した。
 当地への移転は明治三十九年であり、重宝類は昭和九年の火災に焼失した。現在の本尊の薬師如来は胎内銘によれば、天正十七年(1589)の造立になるという。墓地には戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首斬り浅右衛門の七代山田浅右衛門などの墓がある。


google map には、「六代目 山田浅右衛門吉昌が建立した髻塚」というマークが境内にあるが見つけられなかった。
『山田 浅右衛門(やまだ あさえもん)は、江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称。ただし、歴代当主には「朝右衛門」を名乗った人物もいる。死刑執行人も兼ね、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれた。 』
山田浅右衛門は、その金を死んでいった者達の供養に惜しみなく使った。東京都池袋の祥雲寺には、6代山田朝右衛門吉昌が建立した髻塚(毛塚)と呼ばれる慰霊塔が残っている。また、罪人の今際の際の辞世を理解するために、3代以降は俳諧を学び、俳号を所持している。 』
山田浅右衛門 - Wikipedia


山門


ふくろう


門前の桜
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要町駅

ゴールの東京メトロ要町駅









晴れてるのにめっちゃ寒かった!
立ち止まると寒いので全く休まず歩きとおした(w
花粉が飛ぶのは嫌だけど早く暖かくならないかなあ。
勾配もなく休むところはいっぱいあったので良い散歩コースだと思う。