2021/03/04 赤羽西散歩 04 十条歩道橋/上十条五丁目東緑地/上十条五丁目緑地/十条御嶽神社/歩道橋/姥ヶ橋延命地蔵尊/姥ケ橋陸橋

環七を西に進み姥ケ橋陸橋から細い路地に入り南東へ進む。




◆十条歩道橋

下は環七通り。










◆上十条五丁目東緑地








◆上十条五丁目緑地








◆十条御嶽神社









◆歩道橋

工事中だった。
上から写真を撮ることもできず、橋名も確認することができず・・・・。








◆姥(うば)ヶ橋延命地蔵




 この地蔵尊は、袈裟(けさ)をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう)を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像です。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日石橋供養」の銘文が刻まれています。向かって左側の堂内には石造の子育地蔵尊がまつられています。説明板の横には、道しるべでもある小型の文字庚申塔地蔵尊の由来碑があります。
 像は、「姥ヶ橋の地蔵様」と呼ばれて親しまれています。姥ヶ橋とは、稲付川に架かっていた橋の名称です。稲付川は石神井川の支流であり、根村用水とも北耕地川ともいって農業用水として利用されていました。姥ヶ橋には、誤って川に子どもを落して死なせてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたという伝説があります。そして地蔵尊の造立は、乳母の供養のためと伝えられていますが、銘文によれば川に架かる石橋の安全供養のためによるものです。
 また、地蔵尊は、2つの道が出合う地点にあったことから「出合地蔵」とも呼ばれています。橋のたもとは、川ロヘの交通路としても利用された十条・板橋道と中山道から分かれて王子稲荷へ向かう王子道とが合流する交通の要所だったのです。
 現在は環状七号線の建設で川は暗渠となり、姥ヶ橋も姿を消しました。しかし、延命地蔵尊には参詣者の絶えることがなく、毎年八月二十四日の縁日には多くの人々で賑わいます。








◆姥ケ橋陸橋

上も下も環七。
縦に走っている道路は本郷赤羽線










続く。