24時間勤務アケで、JR北千住駅から東武線堀切菖蒲園駅経由でJR綾瀬駅まで散歩。
◆あそぼ
テーマ「下町のふれあい」
作品名「あそぼ」
制作者「渡邉 敏泰」
◆牛田駅近く
東武伊勢崎線牛田駅のホームがチラッと写っている。
電車が来たのでパチリ。
◆東武線高架
こちらをくぐって線路の反対側(南側)へ。
続く。
篠崎新町商店街まで篠崎街道を南下後は細い路地に入り西へ。
都営新宿線瑞江駅でゴール。
◆六斎地蔵尊
こちらは前回見落としてしまったところ。
普から、日本では村の境や辻に、悪霊の侵入を防ぐために道祖神や地蔵尊が建立され、大切に守護されている。
六斎地蔵尊は、天和二城年(1682年)八月二八日江戸幕府第五代徳川綱吉公(常憲院様)の時代第一一二代霊元天皇の御世に造立された。江戸川区内では、最も古い地蔵像の一つである。無量寺別院旧六斎堂の本尊仏であって、当所には昭和四十年十一月十八日に下篠崎町会会館隣リの六斎堂から遷座、開眼供養が行われた。
地蔵尊の光背部分に「為三界萬霊六道四生一切含藏成佛也」と刻され、 六斎地蔵の願いが示されている。地蔵尊は釈尊入滅後弥勒菩薩がこの世に現ずる五十六億七千萬年間、修行僧の姿をなし、此世と地獄の境にし立って、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人問・天)と四生(胎生・卵生・湿生・化生)によってはたらく三界萬霊の成佛を願って杞られる。江戸時代から多くの人々の信仰を集め、「抜苦与楽」の福徳を示現し、深く尊崇され今に伝わる。
◆篠崎新町商店街
六斎地蔵尊はこちらの写真左側にチラッと写っている。
◆オリンピック下篠崎店
買い物しようと思ったけれど、財布忘れた!
そういえば、オリンピックって、一部の限定されたカードしか使えないんだった・・・・。
◆アタック篠崎店
全然知らないスーパーなので調べてみた。
『アタックは、株式会社ジョイマートが運営しているスーパーマーケットチェーンのブランド名。本稿では、2017年12月から2021年3月までの運営企業であり、ゼンショーグループの企業であった株式会社アタックと、2017年11月30日までアタックを運営していた株式会社山田屋アタック(後の株式会社毛利興産)についても記述する。 』
って、すき家など運営するゼンショグループだったのか!
ビックリ。
アタック (スーパーマーケット) - Wikipedia
地下鉄新宿線瑞江駅が開業して東部地区住民の待望久しかった交通機関が実現した。
この鉄道は、昭和48年10月に計画決定されたものの遅々として進まず、剰え建設主体たる東京都の財政事情により計画凍結の状況に逢着した。この時、江戸川区長中里喜一氏は、輿望に応え、かつ区勢百年の発展に寄与せんとして敢然と起ち、優れた指導力と政治力を駆使し住民と共に困難を克服し、ここに駅開業を実現した。
東部地区に黎明が訪れ、躍進の道が拓けた。偉業を衷心より讃え、地区全住民の歓喜を刻み、この碑を建立する。
瑞江駅北口にあった。
今回は見落としてしまった場所巡りだった。
さすがに新人研修中は疲れるね・・・。
そんなにあるくことができなかった。
東京さくら病院まで江戸川に沿って南下。
そのあとは細い路地を西へ向かって歩く。
篠崎街道へ出たら街道を南下。
◆篠崎ポニーランド
さっきのポニーランドから道を一本隔てた、河川敷にある。
◆江戸川水閘門
前回来た時にもう少し詳しく載せてた。
2018/01/31 南篠崎散歩 07 河原水門/江戸川区スポーツランド/江戸川水閘門/ポニーランド/中篠崎公園/名前のわからない祠 - ovanの社会科見学
◆地蔵尊
◆庚申塔
◆つり堀金ちゃん
この辺りから9/21の日記とかぶる。
2021/09/21 篠崎散歩 04 篠崎公園34号地/首都高速7号小松川線/篠崎第三広場/つり堀金ちゃん/竹の湯/篠崎新町商店街 - ovanの社会科見学
続く。
24時間勤務アケで・・・・。
都営新宿線篠崎駅から同じく瑞江駅まで歩く。
篠崎駅南側エリアをほぼ線路に沿って東へ歩く。
江戸川ちょっと手前で今度は南東へ向かって歩く。
◆セブンイレブン江戸川篠崎町2丁目店
食料調達!
◆首都高速7号小松川線
こちらをくぐって道路の反対側(南側)へ。
◆カルチャーパビリオン平安篠崎平安祭典
ずっと前から気になっていたのだが葬儀屋さんなんだね。
『家族葬・直葬・一般葬』東京・千葉の葬儀・お葬式なら|【平安祭典】
◆篠崎ポニーランド
一度来たことがある。
2018/01/31 南篠崎散歩 07 河原水門/江戸川区スポーツランド/江戸川水閘門/ポニーランド/中篠崎公園/名前のわからない祠 - ovanの社会科見学
◆河原渡場道の庚申塔
文政八年(一八二五)年建立的道標、正面に「此方、江戸道」両側面にそれぞれ「此方下かま田新川道」「かわら渡シ場道」と刻まれています。上部に青面金剛の文字供養塔を載せており、道標部分はその台石となっています。
区内には河原道とよばれていた道筋がいくつかありました。時代が下るにつれて網の目のように入り組んでいったようです。江戸時代には河原の渡しと言われた渡船場があったのは下篠崎村で、「新編武蔵国風土記稿」に「江戸川、川川の向は下総国河原村
なればかくえり」とあります。
剥離が進んでいたため、昭和六十二年秋に修理保存処理を行い、建て直しました。旧位置は現在より約十メートル東にありました。
続く。
中央二丁目公園から西へ進み、また千葉街道へ出る。
そのあとはまた街道を外れて北上。
新小岩駅でゴール。
◆八蔵橋跡
元佐倉道
江戸時代のはじめ、両国から堅川の北岸を東にすすみ、逆井の渡しで中川(旧中川)をわたり、小岩で現在の江戸川をわたって房総へむかう道がひらかれました。逆井の渡しから小岩井にいたる道筋は、船橋以東の東金街道の整備が慶長末年あたりとすれば、その前後あるいは両国橋が架けられた万治二年(1659)あたりまでのほぼ五〇年間に順次整備されたと考えられます。『水戸佐倉道分間延絵図』には、「元佐倉通り逆井道、江戸両国橋え道法三里」と記されています。『新編武蔵風土記稿』には、「元佐倉道とて本所堅川通り亀戸逆井渡を渉り、小松川村小名四ツ又と云処より両路に別れ、左して下総国市川村に達す」とあります。一般には「元佐倉道」とよばれ、明治八年(1875)に千葉街道と改称されました。八蔵橋以東は、明治初年に道幅をひろげています。荒川放水路・中川放水路(荒川・中川)の開さくによって、行徳道と交差する四ツ又(四股)とよばれたところが失われましたが、ここにあった道標(移設現存)には「両国・市川道」と刻まれています。大正九年(1920)に国道七号となり、大正一一年には小松川橋が架けられ、八蔵橋以西は経路が変わりました。昭和二七年(1952)に国道一四号に改められ、八蔵橋以西は旧千葉街道とよばれています。
◆松島歩道橋
下は平和橋通り。
江戸川区の北側で依然残したスポットをかなり消化。
あとは葛飾区との境目あたりと東西線と都営新宿線のところが残っているかな。
散歩はやっぱり高低差がなくかなり歩きやすかった。
千葉街道まで南下した後は街道を南西へ進む。
◆友の湯
銭湯♪
一度入浴したことがある銭湯なのだが、改装工事してるんだね。
改装後に入浴してみたいなぁ。
ovanrei.hatenablog.com
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◆ワイズマート南小岩店
水分補給。
続く。