2022/09/17 東久留米散歩 03 第二喜多乃湯/東久留米都営幸町一丁目アパート・暗渠/曲橋/大円寺/子ノ神社/小山台遺跡公園/こやま第三広場・小山緑地保存地域・小山菜園

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/17/203000







◆第二喜多乃湯

銭湯♪




銭湯裏の階段。
下は暗渠の蓋になっていた。









◆東久留米都営幸町一丁目アパート・暗渠













◆曲橋

下は黒目川。












大円寺

情報量が多いので別のページへ。
2022/09/17 大円寺 - ovanの社会科見学









◆子ノ神社



 当社は、小山村の鎮守にして、文禄元年(1592)8月、領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられ、除地1町5段(4500坪)を有し、社地には槻・杉雑樹など繁茂していたといわれる。拝殿は文政元年(1818)十月建立し、後明治四年(1871)八月、明治四十二年(1909)五月等数回に亘り修築がなされた。
 神社名はもと「根神明神」と称したが、後世にいたり十二支の子を用い「子ノ神社」と変更された。子は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われる。祭神大国主命は出雲大社の祭神と同一神にして国土開発の神であると共に、縁結び・子孫繁栄・五穀豊穣の神とされている。
 創立者矢部氏は相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていたが、徳川時代の始め、300石を賜り小山村の地頭となった。神社の西方畑地にその屋敷跡があったという。後、寛文五年(1665)二月死去し江戸牛込多聞院に葬られたといわれる。
 氏子によって奉納される神田流の「おはやし」は、昭和42年3月市の無形文化財に指定されている。

境内末社
①稲荷神社
保食神を祀り元和年間(江戸初期)字稲荷山(当村南方)、字西原(当村西方)、字大堂(当村北方)にそれぞれ創立された三社は、明治十一年(1878)八月境内末社として合祀された。毎年2月初午を祭日とする。
津島神社
牛頭天王を祀り毎年7月27日を祭日とする。


津島神社/稲荷神社


歌碑

文字が判別できなかった・・・・。










◆小山台遺跡公園




小山台遺跡



 小山台遺跡とよばれるこの付近一帯は、旧石器時代(約2万年前)の大昔から人々が生活していたことが知られています。
 崖下には黒目川が流れ、かつては子の神社の下に清らかな湧き水もありました。南向きで日あたりのよいこの高台は、原始時代の人々にとっても、生活に適した場所だったと思われます。
 ここに復元した住居跡は、昭和45年に久留米中学校がこの場所を発掘調査したときに発見された縄文時代中期(約5千年前)の竪穴住居跡3軒のうちの1軒です。
 中央には土器と石を利用した炉があり、四隅には柱を立てた穴があります。
 このような竪穴の上に茅や樹皮などで屋根をつくって住居としました。


ヒガンバナ

見ごろだね。









◆こやま第三広場・小山緑地保存地域・小山菜園




この緑地は、黒目川を南に見る台地上に残された、コナラを主体とする雑木林で、市街化が進行する地域の中にあって良好な状況を保っている貴重な自然地です。


きのこ

食べられるかなあ?(w



雑木林のみち

小山・金山コース
「雑木林」という言葉は、 なんとなく心なごむ “ふるさと ” につながるような味わいを持っています。 国木田独歩が、 あの 「武蔵野」で賞揚した武蔵野の風景は、コナラ、クヌギエゴノキなどの樹種からなる雑木林や畑、 水田、 屋敷林等が、 野の道や用水、崖線の緑とによってつづられ、構成された農の風景でした。 しかし、都市化の進展により、広く都民に親しまれてきたこのような景色は、現在ではほんの一部の地域に残っているだけです。
 東京都では、 多摩東部地域に残る雑木林を保全し、この雑木林を中心とした武蔵野の風景をつづる道を、 都民の憩いの場として積極的に活用することを目的として 「雑木林のみち」 事業を進めています。「雑木林のみち」は10コースで構成され、 どのコースも、 半日あればゆっくり散策できる長さです。
 このコースは小山・金山コースで、 小山台、 氷川台、 金山など黒目川に沿って連なる遺跡群とこれを取り巻く段丘斜面の雑木林、 そして、その下に小さな集落を形づくっている農家と屋敷林をたどるみちです。また、都条例によって 「小山緑地保全地域」に指定された雑木林とその周辺の畑の広がりも、 散策には絶好であり、 気持ちの良いコースです。











続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/17/213000

2022/09/17 東久留米散歩 02 デザインマンホール/東久留米市立東部地域センター/稲荷神社/東久留米駅前/西武池袋線踏切/イトーヨーカドー 東久留米店/越後谷

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/17/200000






ブラックジャック デザインマンホール

こちらはgoogle mapにも載っていないので見逃すところだった!
調べるとまだまだあるみたいなので、今度全部見に行ってみたい。
マンガ「ブラック・ジャック」のマンホール蓋を設置しました|東久留米市ホームページ











東久留米市立東部地域センター

東久留米市の施設。
東久留米市 東部地域センター | 施設の案内 | 東久留米市 市民プラザ、西部・南部・東部地域センター









◆稲荷神社

つい先日来たところ。
2022/09/15 東久留米散歩 07 浄牧院/稲荷神社/稲荷塚公園/厳島神社/東久留米駅/武蔵小金井駅 - ovanの社会科見学










東久留米駅

こちらもついこの前来た松屋
遅い朝ごはんを頂いた。



や台ずし

タイムサービスなら飲み物も安そう。


猿田彦神社・武蔵野稲荷神社



こちらもつい先日来たところ。
2022/09/15 東久留米散歩 01 東久留米駅/猿田彦神社・武蔵野稲荷神社/西武池袋線踏切/源の湯/東久留米駅前商店会/大橋通り商店会 - ovanの社会科見学









西武池袋線踏切

こちらもつい先日来たところ。
今回は線路を渡って反対側(南側)へ。









イトーヨーカドー 東久留米店

遠く、右側に写っている。
実はこのあたり、20年位前?に仕事で何か月か通った場所。
なつかしいなあ。









越後屋

豆腐屋さんだね。
前に立っているお人形さんがよいね!









続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/17/210000

2022/09/17 東久留米散歩 01 東久留米駅/大門町第二アパート/神山大橋/昭和橋/神山氷川神社/石碑/地蔵菩薩


24時間勤務アケで、15日の東久留米散歩で少し残してしまったスポットを散歩後、JR武蔵野線新座駅へ向かって歩く。







東久留米駅

西武池袋線東久留米駅










大門町第二アパート









◆神山大橋

下は黒目川。











◆昭和橋

下は黒目川。











◆神山氷川神社

つい先日訪れたところ。
2022/09/15 東久留米散歩 03 交通安全地蔵尊/宝泉寺/神山バッティングセンター/稲荷大明神/石碑/神山氷川神社 - ovanの社会科見学









◆石碑

こちらもつい先日訪れたところ。
やっぱりなんの碑なのかわからなかった。
2022/09/15 東久留米散歩 03 交通安全地蔵尊/宝泉寺/神山バッティングセンター/稲荷大明神/石碑/神山氷川神社 - ovanの社会科見学








地蔵菩薩



 地蔵は六道をめぐって衆生を救済し、極楽にいけるよう力を貸してくれるとされていましたが、近世になると民間信仰とあいまって、病気平癒、五穀豊穣から長寿、安産、育児など、あらゆる願い事を叶えてくれると信じられるようになり、当時の村民にとってより身近で大切な存在となりました。
 この地蔵菩薩像は、元禄八年(1695)という造立年が記された市内で最も古いものです。
 光背には、神山村の住人が亡くなった人の供養のために三年間寒中三十日念仏を唱えて巡行する寒念仏(かんねんぶつ)を行ったことが記されており、当時の信仰の様子をうかがうことができます。









続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/17/203000

2022/09/15 東久留米散歩 07 浄牧院/稲荷神社/稲荷塚公園/厳島神社/東久留米駅/武蔵小金井駅

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/230000






◆浄牧院


観音堂


鐘楼


六地蔵


浄牧院のカヤ



 この榧の木は、市内に生育する多くの樹木の中で数少ない種類の一つに数えられ、目通り幹周3.5m、樹高18mを計測する雌株です。
 樹齢は約四〇〇年と推定され、老木としての風格を備え、東久留米市の自然を記念するものとして貴重な植物です。
 榧は、イチイ科カヤ属の雌雄異株の常緑高木で、樹高は普通20m、胸高直径1m内外となります。
 種子の胚乳(はいにゅう)は脂肪に富み、油をしぼり、また食用ともします。
 分布は、宮城県以西、四国・九州。


水子地蔵



 水子地蔵とは流産、死産などでこの世に生を受けることの出来なかった子供の供養するおじぞう様です。
 水子(みずこ)という呼び方は元来無く、水子(すいじ)、孩子(がいじ)といって、生まれて一年以内に亡くなった嬰児や死産した胎児を指しました。
 近年では、前述のすべての子を水子(みずこ)として地蔵にこの霊を祀ることが多くなりました。
 また地蔵は、子供を守る仏とされていたことから水子の観念と結びついて水子地蔵とされています。


十一面観世音菩薩


鐘楼


仏足石(ぶっそくせき)




 仏足石(跡)は、お釈迦さまの足の裏の相です。その昔、お釈迦さまが人々の前で説法をされた時、多くの人々に自分の姿が見えるように、岩や石の上に立ってお話しをされました。
 説法が終わり、お釈迦さまがお帰になった後も石の上に足の相が残っており、人々はその足跡をそのまま石に刻み、有難く拝んできました。
 その後数百年を経てはじめてお釈迦さまの像がつくられるようになったと言われています。私達が日々礼拝する仏さまの「基」が仏足石です。その文様の一つひとつに、お釈迦さまの慈悲の心と、尊い教えがこめられています。


地蔵


仁王門



表門


2023/02/06 山門

再訪してみたらこの山門と下記の案内看板を撮り逃したことに気が付いた。



 かつては本堂の中軸線上にあった山門で、東久留米駅東口整備に伴う道路の延伸によって現在の位置に移動し、浄牧院の側門となっています。
 総欅造り、折衷様の四脚門で、屋根は鉄板葺(元は茅葺)。親柱は丸柱で、控柱は几帳面を取った角柱、上部を海老虹梁(海老状に湾曲した梁)で繋いでいます。 控柱上部は頭貫で繋ぎ、先端を象鼻(ぞうばな)としています。控柱(ひかえばしら)の斗棋(ときょう) (凹の形をした組手)は三斗組(みつどくみ)で、秤肘木(はかりひじき)(秤の形をした横木)で桁を支えています。
 虹梁や木鼻の絵様(えよう)や彫からして、江戸時代後期頃のものと推定され、この時代の寺院山門の形式を留める格式高い建造物です。










◆稲荷神社











◆稲荷塚公園










厳島神社












東久留米駅

西武池袋線東久留米駅
ここからバスで武蔵小金井へ。










武蔵小金井駅



左側に写っているバス(西武バス)に乗ってきた。


日本の「とき:標準時刻が生まれるまち

近くに「情報通信研究機構NICT)」という研究所がある。
何度か訪れたことがある研究所。
2017/11/09 情報通信研究機構(NICT) 一般公開 - ovanの社会科見学






北口駅前の信号が「とおりゃんせ信号」だった。

こちらは「だれかさん信号」のみだった。










公園が、草木がいっぱい(籔)なところが多く、少しでも休もうとすると蚊が・・・・・。
なので歩きまくり(w
疲れた・・・・・。

2022/09/15 東久留米散歩 06 浅間町七福神/不動橋/浅間遊園/不動明王像 新町1丁目/新川消防署/しんかわ第二広場

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/223000






浅間町七福神

入りづらかったので遠くからお参り。



鳥居が・・・・。









◆不動橋

下は落合川













◆浅間遊園








不動明王像 新町1丁目



 この不動明王は、江戸時代の文政九年(1826)に造立されたものです。
 上部に不動明王座像が刻まれ、下には梵語の種子がみられます。右側面に造立年、左側面に武州多摩郡落合邑の村名と寄進者名が刻まれています。
 不動明王座像は、一切の悪を断じるために目を怒らし、両牙を噛んだ憤怒の姿をしており、右手に剣、左手に羂索(密教で使う五色の縄)を持ち、岩の上に座って炎のなかに住しています。
 病気平癒や安産、災害の除去、財福を得るなどの願いをかなえてくれるとして信仰されました。










◆新川消防署









◆しんかわ第二広場









続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/233000

2022/09/15 東久留米散歩 05 庚申塔(新川町2)/落合橋/長寿池・廻国供養塔/地蔵菩薩・馬頭観音/橋名なし/落合浅間神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/220000






庚申塔(新川町2)









◆落合橋

下は落合川












◆長寿池・廻国供養塔

左側塀の後ろが長寿池、右側に廻国供養塔が写っている。


長寿池


廻国供養塔



 この石塔は廻国供養塔といわれるもので、宝暦十三年(1763)に造立されました。
 廻国供養塔は全国六六ヶ国を旅して大乗妙典法華経(だいじょうみょうてんほけきょう)六十六巻を有名寺院や零場に納める六十六部とか六部と呼ばれた人々が、その大願を果たした時や果たしつつあることを記念して立てた記念碑です。
 この廻国供養塔は、はるばる讃州(香川県) 豊田郡から旅してきた全無という六十六部が落合村の人々の協力を得て立てたものです。
 市内の廻国供養塔では古いもので、記事内容も豊富です。








地蔵菩薩馬頭観音









◆橋名なし

下の川名もわからなかった。






google mapにも橋名は載っていなかった。
赤丸印の所である。
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
ぺこ <(_ _)>








◆落合浅間神社


稲荷神社


御嶽神社


八雲神社/?

左側は八雲神社と読めるが、右側は判らなかった。


御嶽山神社/三笠山神社.八海山神社


鳥居









続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/230000

2022/09/15 東久留米散歩 04 庚申塔/神宝大橋/馬頭観音/下谷橋・川岸遺跡・調整池/下谷公園/東久留米市スポーツセンター

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/213000






庚申塔











◆神宝大橋

下は黒目川。



この先で黒目川、落合川が合流しているのが見える。
右側が黒目川で写っている橋が黒目橋。












馬頭観音











下谷橋・川岸遺跡・調整池

下谷(しもや)橋。





川岸遺跡

下谷橋から川岸遺跡方向。

説明版など見当たらず工事中のようだ。
WEBで調べてみた。
www.city.higashikurume.lg.jp

遺跡発掘工事の後は下谷橋調整池工事が始まっているようだ。


黒目川黒目橋調整池換気塔











下谷公園










東久留米市スポーツセンター










続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/15/223000