2013/09/05 part1 昭和館

仕事帰りに九段下にある昭和館に行ってきました。




ここは第二次大戦の戦中、戦後で暮らす人々の生活ぶりが良くわかる博物館です。
とても展示の仕方がよく、オヴァンの瞳はずっとうるみっぱなしでした。
平日の雨の午前中ということもあって、来館する人もまばら。
じっくりと堪能することが出来ました。



常設展示は7階から・・・・・
■家族の別れ
徴兵されて旅立つ夫や息子のために街頭でお願いして縫ってもらった千人針などが展示。
戦場での無事を祈るための品々が数多く展示されてました。



■家族への想い
戦地で戦ってる兵士とその家族との間に交わされた手紙が展示されてました。
明日をも知れない身で家族のことを想った手紙にとても感動しました。
オヴァンだったら弱音吐きまくりでとてもこんな手紙を書けません。
でも、そんな手紙を書いたら検閲で引っかかり、家族の元に届かなかったんだろうなあ。



■昭和10年ごろの家庭
氷を入れただけの冷蔵庫が展示されてました。
炭やまきを燃料とするカマドが残っていたりとまだまだ電化とは程遠い時代だったようです。



■統制下の暮らし
映像資料では東北地方ではお米は大豊作で、国民には十分に足りうる量だとかいってるくせに、それと同時に白米禁止とかわけのわからないことを言っていた。
米の変わりにうどんをすすってる軍の上層部の映像とか出ていた。
統制化では、矛盾した映像でプロパガンダが横行するものらしい・・・・


武器を作る金属が足りないので、家庭から金属製品を差し出すように強要。
お寺からは釣鐘などが徴収されました・・・・。
金属の変わりに陶製のアイロンが造られるなど、そまざまな知恵を絞ったらしい・・・・・・




■戦中の学童・学徒
空襲が懸念されるようになると難を逃れるために小学3年生から6年生を対象に田舎へ疎開させます。
映像資料を観ると、勉学に励み、厳しい共同生活でしつけられてる映像を流しながら、十分な食事を与えられ、お昼寝の映像なんかも見せて、とてもほのぼのとしたニューズ映像でした。
しかし、体験談などで知る疎開生活はそれはもう酷いものだということを知っていたので、親たちを安心させるための映像なんだなあと思い、涙が出てきました。




■戦後の備えと空襲
ニュース映像にはみんなが団結して消火訓練をしたりする映像がありました。
しかし、あれほどの大空襲や原爆では役に立たなかったでしょう。
非戦闘員を巻き込んだ戦争の悲惨さがよくわかります。




■昭和20年8月15日
終戦です。
玉音放送が聴けました。



終戦直後の日本
バラックでの生活や、買出し列車など、終戦直後の映像が見ることができました。
混乱しつつもたくましく生きていこうとする人々の様子がわかりました。



■廃墟からの出発
闇で手に入れた物資(米など)を持ち込もうとする人を取り締まる映像を見ました。
映像を見る限りでは悪質なブローカーなどを取り締まるためだったみたいだけど、普通の人からも物資を没収したのかなあ・・・・。



■遺された家族
戦地で夫を失った女性の生活はとても厳しく、恩給も廃止となってしまい母子家庭は大変な苦労をしたとのことです。
なんらかの職業に就けた人は幸運だったようだが、それでも男性の給与の半分ほどしか稼げなかったとのデータが。
戦争で戦って死んだ人がこの状況を観たらさぞかし無念だったでしょう。



■子供たちの戦後
昼間は働いて夜に学校に行く。
それが中学生だなんて・・・・・
それでもまだいいほうで、2万人の子供が学校へ通えてないと当時のニュース映像で伝えてました。



この後・・・・・・
■復興に向けて
■移りゆく世相
■慰霊の旅
など、戦後の様子が展示されてました。
修学旅行が今で言う弾丸だったこととか面白い映像もみられましたが、たくましく生きる人々の様子をうかがい知ることが出来ました。



戦争は二度と繰り返してはいけない愚行なんだということを思い知らされました。
2時間滞在して思った感想は、そんな当たり前のことです。
あんな悲しいことが起らないよう、自らが行動しないといけないのかもしれませんね・・・・。




昭和館の玄関の近くにこんなのがありました。



そして次に新宿歴史博物館へ向かうのでした。