大國魂神社周辺を離れて旧甲州街道を西へ移動。
高安寺までは街道沿いです。
江戸時代に、禁制・法令などを伝えるために掲げた板札を高札といいます。高札は交通の多い場所などに掲げられましたが、このような場所は高札場と呼ばれます。
と、書いてあります。
甲州街道と府中小唄ゆかりの地の碑
この碑の立ってる前の道は「旧甲州街道」で今の甲州街道はちょっと北にあります。
小唄の碑、「5」って書いてあるということは。。。。
大國魂神社の例大祭に深いかかわりのある人名に由来があるといわれます。
と、書かれてます。
野村瓜州(かしゅう)の墓
漢詩人、文人、教育家とありました。
「坦々草」という著書があるとのことです。
高林吉利の墓
徳川家康に仕え、武蔵国府中領の最初の代官となった人である。
と、説明板に書いてありました。
幕末の志士で熊本藩士とのことです。
前のお二人は府中の史跡ですが、こちらは都の史跡ですね。
秀郷稲荷神社
こちらも高安寺の境内になるみたいですね。
神社の裏に「弁慶硯の井戸」があるとのことで行ってみた。
弁慶硯の井戸
1185年(元暦2年)、平家を滅ぼし、鎌倉に凱旋しようとした源義経は、兄頼朝の怒りを買って鎌倉に入ることはできませんでした。京都に帰る途中で立ち寄ったのがこのお寺。
義経は、弁慶らと赦しを請うため大般若経を書写し、その時に弁慶が水を汲んだのが境内に残されている古井戸だと伝えられているとのことです。
ただ、結局義経は赦されることはなかったので、ご利益どころか・・・・・・(怖
この後は西進。
分倍河原駅周辺の史跡をめぐります。