2017/05/30 霊岩島・茅場町散歩 越前掘児童公園/新亀島橋/其角住居跡/智泉院薬師堂/日枝神社

霊岩島から新亀島橋を渡って茅場町に入ります。



◆越前掘児童公園

ここにはいくつか説明板や史跡がありました。



越前掘児童公園記念碑




越前掘跡

江戸時代、この辺りは越前福井藩主、松平越前守の屋敷地でした。
屋敷は三方が入堀に囲まれ、これが「越前掘」と通称されていました。
とあります。
つか、この写真、ピントが合ってないなあ(w
今度から違うモードと2枚撮ろう・・・・。




霊岩島の碑



霊岩島の由来

雄誉霊岩上人が霊岩寺を創建して、土地開発の第一歩を踏み出したことが霊岩島の由来のようですね。




越前掘の石垣石



この石は「石垣石」と呼ばれる越前掘の護岸に用いられたものです。
とあります。




◆新亀島橋






新亀島橋の名前は、この橋の下流に位置し、元禄の時代から架かる亀島橋に対して新の字を冠し、新亀島橋と名付けられました。
とあります。
初めて架けられたのは明治15年
現在の橋は平成7年に架けられたものです。




橋の北側には霊岩橋と水門が見えます。
水門は字が読めませんでしたが、おそらく日本橋水門だと思います。
さらに奥には高速の看板が見えますね。





◆其角住居跡





其角って?
調べてみました。
宝井其角(1661-1707)という人とのこと。
松尾芭蕉の門人で、蕉門十哲の一人だそうです。




◆智泉院薬師堂




台東区上野の寛永寺の末寺にあたる寺院で、寛永十二年(1635)に創建されました。
徳川家康の知遇を得た、天海大僧正の発意によって開かれたと伝えられてます。
と、書いてあります。



関東大震災の慰霊のため日本橋魚河岸から依頼されて制作したということです。





日枝神社




天正五十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北島(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸されたことに始まります。
と、書かれてます。







東西線に乗って茅場町から竹橋に向かい、散歩が続きます。