今度は晴れて急に暑くなる。
帰ると決めたので最短コースで東京駅に向かう。
けど、やっぱり何かあると寄り道しちゃいます。
猫を見失った時に立願すれば霊験ありという。
と書かれてますね。
猫が家出して見つからないときはコチラにお参りするといいみたいです。
幕府の医師であった岡本玄治の拝領屋敷があったことから「玄治店」と呼ばれていました。
三代将軍家光は重用し、数多くの功があったことが記録に残されています。
などと、書いてあります。
御殿山にあったものが、江戸城へ移り、さきほどの岡本玄治に賜って当地へ移されたとあります。
「橘」は岡本家の姓にちなんだとされる。
◆出世稲荷神社
出世稲荷と岩代稲荷の名前がありました。
入口はマンションの自転車置き場ですね・・・・。
最初入っていいものかどうか迷いました(汗
これが参道・・・ってことでいいのかな?
工事中の白い幕の終わったところに先ほどの入り口があります。
手前には神社の説明板がありました。
参道の途中にあった気になるお店・・・・
鉄のニオイがプンプンします。
当社は室町中期長禄元年(1457年)に大田道灌が江戸城を築城の際、京都伏見稲荷太伸の御分霊をいただき、常盤稲荷と名づけ、同城の守護神として勧請された。
後に、徳川家康公開府により、江戸城廊拡張工事が行われ現在の常盤橋(もともと大橋と称されていたが、当社がこの地に移ってより社名を持って常盤橋に改称された)辺りに社地が移された。
って、ものすごい由緒ですね・・・・。
江戸時代初期から昭和初期まで、日本橋本町一丁目と日本橋小舟町の今日回沿いには掘割(明治中期ごろまで「伊勢町掘り」と称し、後に「西堀留川」と名称変更)がありました。
埋め立てが進み、関東大震災後の区画整理事業によってすべて埋めたてられその姿を消したとのことです。
すぐ近くにある日本橋郵便局
◆榛原と日本橋
文化3年(1806年)に創業され、江戸日本橋のたもとの萬町にて営業を行ったと伝わっています、初代佐助は、書物問屋須原屋茂兵衛にて奉公の後独立し、紙、墨、薬を販売しました。
などと書かれてます。
建物が中央区の文化財なんですね。
疲れていたのでこの2枚の写真しか撮ってきませんでした。
また通りかかったらじっくり見てみます。
この後は東京駅まで一気に歩きます。