2017/06/11 江東散歩 03 緑橋/本木橋/佐賀稲荷/上之橋/明治維新百年記念/陸奥宗光宅跡/平賀源内電気実験の地

先ほど同様に大島側西支流を北上。
途中から地図に載ってる史跡を巡りました。



◆緑橋




緑色の橋だから「緑橋」なのか、緑橋だから緑に塗ったか・・・・・。




◆本木橋






この場合、上の高速道路も同じ橋の名前になるのかな??




◆佐賀稲荷神社




佐賀町の町の由来が書いてありますね。
地形が似ているからだったんですな。
交流とかはないようです?




◆上之橋




全然橋っぽくないです(w
見えないけど墨田川側に水門があるみたいです。




川と反対側は清澄排水機場の建物があるみたいです。
橋の下は仙台堀川の水位が上昇したときに水を流すための導管があるみたいですね。




明治維新百年記念




清州橋のすぐ近くにありました。




陸奥宗光宅跡




陸奥宗光は、明治時代の外交官・政治家で、弘化元年(1844)、和歌山藩士伊達宗広(千広)の第六子として生まれ、明治三十年(1897)、西ヶ原(北区)の自邸で逝去しました。


とあるので、北区西ヶ原で調べてみると、「旧古河庭園」の中に陸奥宗光宅跡があるのをgoogle mapで見つけました。
wikiで調べると最初にこの土地を購入して別邸としたのはこの人。
だが、そのときの建物は現存しないと書いてありました。



宗光が深川清住町(現清澄に在住したのは明治五年(1872)から同10年(1877)までの間で、大蔵省で地租改正事業に手腕をふるい、また薩長藩閥勢力による政権の独占を批判した論文「日本人」を書きあげた時期に当たります。
この邸宅は、隅田川に面して眺望がよく「三汊水碧楼」と呼ばれていました。
とありました。



◆平賀源内電気実験の地




源内はわが国最初の電気学者にて安永五年エレキテルを完成し、この付近深川清澄町現在の清澄一丁目私宅にて電気実験を行い同八年五十一歳で没した。
とあります。




道路の左側を歩いて北上していたら、うっかり電気実験の地の碑を通りすぎてしまい、陸奥峰光宅跡から戻ってきました(汗
このあともまだまだ続きます。