2017/06/11 江東散歩 04 本邦セメント工業発祥之地/清川橋/清澄公園/萬年橋/川船番所跡/芭蕉稲荷神社

平賀源電気実験の地からそんなに離れてない場所にあります。
そこから清澄公園まで歩き、萬年橋を渡って北上しました。




◆本邦セメント工業発祥之地

頭が葉っぱで隠れてる(w
 日本で初めてセメント工場があった場所です。明治8年、工部省が本格的なセメント製造に成功しました。上図手前の隅田川、右側の仙台掘などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の末、外国品と遜色のない国産のセメントを作り上げました。明治16年、当社創業者の一人である浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場として発展を遂げました。
と、書いてあります。



浅野総一郎




本邦セメント工業発祥之地の碑





今でもセメント工場なのですね!




このコンクリート文化財なのかな?
脇に「江東区登録文化財」の碑が建ってました。




◆清川橋






仙台掘川の説明板がありました。





◆清澄公園

ここ、全部清澄庭園だとおもってたのですが、半分は無料で入れる普通の公園なんですね。
清澄庭園は以前にも来たことがありますが、知りませんでした・・・・・。





◆萬年橋



小名木川水門

東側に見えた水門。
名前がわからなかったのでwikiで調べたら「新小名木川水門」とのことでした。




説明板には「萬」ではなくて「万」と書いてあるね・・・・。
万年橋は、区内の橋の中でも古く架けられた橋のひとつです。架橋された年代は明らかではありませんが、延宝八年(1680)の江戸図には「元番所のはし」として記されているので、このころにはすでに架けられていたことがわかります。


その後に書かれているのはこの後の川船番所の説明も書かれてるね。





◆川船番所

『川船番所は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。』


とあります。


『明歴三年(1657)の大火後、江戸市街地の拡大や、本所の掘割の完成などに伴い、寛文元年(1661)中川口に移転しました。いご中側番所として機能することとなり、当地は元番所と通称されました。』


とのことで、そちらの新しいほうの船番所跡は、現在資料館があるところですね。




芭蕉稲荷神社











芭蕉はここに住んでいたんでいたことがあるんですね!







まだまだ続きます。