ここまで来ると、もう森下駅の近くです。
芭蕉記念館まで北上し、そこから東に進みました。
旧新大橋は元禄六年(1693)十二月、この地先の墨田川に架設起工し五十二日間で完成し長さ百間幅員三間七寸あり当時橋名は両国橋を大橋と称していたので、この橋を新大橋といった。近くの深川芭蕉庵に住んでいた芭蕉は新大橋の工事中
初雪や かけかかりたる 橋の上
の句をよみ、また橋の完成をみて
ありがたや いただいて踏む 橋の霜
の句をよんだ。
と、ありました。
◆芭蕉記念館
こちらはぐるっとパスで2度ほど来たことがあります。
隣にある小学校や公園の名前も「八名川」なので、webで調べてみたんですけど、名前の由来まで見付けることができませんでした・・・・。
ちなみにこの辺の住所は「新大橋」でした。
『この橋名板は、明治四十五年(1912)に架けられた新大橋の橋名板で、現在の新大橋(昭和五十二年完成)に掛け替えられるまで、江東区側の正面上部のアーチを飾っていたものです。』
とのことです。
中央区側の橋の一部は愛知県犬山市にある明治村にあるそうですね。
左の由来碑を拡大すると文字は見えるけどカタカナ交じりで読みづらい。
400年ほど前深川八郎右衛門とその一族が住んでいて、このあたりを開拓。
福祉とこの地の発展を願いこの神社を建てたってことかな?
『家康公は八郎右衛門の姓「深川」を以て地名とせよ命じた
「深川」の地名の起こりは 神明宮の鎮座する実にこの地なのである』
ということで、「深川」の由来まで勉強できちゃいました。
『伊藤深水は、明治三一年(1898)二月四日、深川西森下町の深川神明宮門前で生まれました。本名は一(はじめ)。』
日本画の有名な人なんですね!
まったく存じ上げませんでした(汗
『江戸の浮世絵の伝統を受け継ぎ、女性の美しさを創出する日本画家として、日本の近代美術史に大きな功績を残しました。』
とのことです。
機会があったら作品を見てみようと思います。
森下駅でゴール。
何も見ないで北上すれば、越中島から両国ぐらいまでなら軽く歩いて行けますね。
門前仲町があんなに近いと思ってなかったので、東西線を使うときは越中島から歩いて乗り換えようと思いました。
あと、やっぱり水路が多いので橋も多い。
水門も多いし維持費がかなりかかってるんじゃないかと思う。
水路をもっと活用しないともったいないと感じました。
水上タクシーなどで活用できないかな???