2017/06/26 新小岩散歩 02 新小岩天祖神社/三谷稲荷/鬼塚/森永乳業東京工場/奥戸の古代遺跡の碑

中川沿いから少し内側に入ります。
しかしほんと中川ってクネクネしてますなあ・・・・。



新小岩天祖神社













◆三谷稲荷神社













◆鬼塚




 塚のいわれは不明ですが、「鬼塚」と呼ばれているこの塚は、室町時代と江戸時代の二期にわたって築造されています。平面型は方形ないし不整の円をなし、東西的13.9m、南北的15.4m、高さ約1.0m(海抜)を測ります。
 室町時代においては、東西的8m、南北約8.5m、高さ約70cmの方形の塚が造られ、中央に土坑(どこう)が穿(うが)たれました。その中から石目·陶器鉢が出土しました。塚の南側には、ハマグリを主体とした具殻が堆積していました。この小貝塚は、生業活動に伴う何らかの儀礼行為の結果と判断されます。
 江戸時代になると、稲荷様を祠るために、中世の塚の上にさらに土を盛り、塚を作り直しています。塚の上には寛係2年(1742) 銘の祠があります。
 鬼塚は室町・江戸時代を通して、この地域に生活した人々の精神文化を知る上できわめて重要な史料です。また、東京低地帯全体を見渡しても、良好な状態で係存されている中世の塚は鬼塚のみであり、貴重な文化遺産と思われます。


柵があって中には入れませんでした。
いつか中も見てみたいです。












森永乳業東京工場

見学したい(w
奥のほうには牛がいる?
見学者向けだと思うんですが??













奥戸の古代遺跡の碑




 奥戸地区は、葛飾区の中でも比較的土地の低い南西部に位置することから、今まで考古学的にも空白地帯でした。しかし、鬼塚遺跡・本郷遺跡の発見を契機に奥戸地区にも古代の遺跡が存在することがわかってきました。
 鬼塚遺跡・本郷遺跡は、古墳・奈良・平安時代を主体とする遺跡で、古代の奥戸に住んた人々が使用した土師器・須息器や建物・井戸・溝などが教多く発見されています。出土品のなかでも鬼塚遺跡から出上した管位を表す石製の帯飾りは、東京低地では初めて出土したもので、古代の奥戸に管位を持つ役人がいたことを示す資料として注目されます。
 また、出土した土師器や須恵器のなかには現在の埼玉・茨城・静岡・愛知県などで作られた製品が認められ、当時の交流の様子を知ることができます。このほか、牛・馬の骨歯などが多く出土することから、古くから牛馬を利用した農耕が導入され、開発が進んでいたものと考えられます。
 葛飾区は、日本の古代史上著名な「養老5年下総国易飾都大嶋鄉戸籍」(721年作成) に記載されている大嶋鄉の推定地とされており、定説では大嶋郷を構成する甲和・仲村・嶋俣の3里のうち、甲和里=江戶川区小岩付近、嶋俣里=基飾区柴又付近とされています。鬼塚遺跡や本郷造跡など奥戸地区に所在する遺跡も大嶋郷を構成する集落のひとつと考えられることから、今まで所在が不明だった仲村里の推定地として注目されます。

鬼塚は見てきたけど、本郷遺跡が見当たらなかったなあ。
今度探してみます。












まだまだ続きます。

※2021/10/08 レイアウト変更と加筆編集した。