2017/06/26 新小岩散歩 03 奥戸天祖神社/八剱神社/新奥戸橋/上一色天祖神社/上一色橋

川が曲がりくねっているせいかまっすぐな道が少ない気がします。
スマホがなければ確実に道に迷いますね(←方向音痴)




奥戸天祖神社

この鳥居のようなものの上部が下の「大しめ縄」なのかな?


大しめ縄神事

区の登録右傾文化財とのことです。
「アクマバライ」と称して旧村内を担いでまわるとのこと。
ちょっと見てみたい・・・・
以前は2本で「雄じめ・雌じめ」と呼ばれていたが、一本となり、正面鳥居にかけられ、今は石柱が建てられ、そこに掛けられるようになったとのことですね。
神事は10月みたいなので、チェックしておこう。




どれがそうなのかわからなかった・・・・
文字が削れている碑が多く、判読不能でした。
一番右のかな??



この鳥居の奥にはいろんな神社がまつられてました。
一番右側は僕の故郷、山形の出羽三山のがありました。












◆八剱神社

八剱(やつるぎ)神社




八剱神社棟札
寛永6年(1629)奥戸新田の惣百姓、惣氏子が「矢剱大明神」を再興した時の棟札です。材質はヒノキで、以下のような墨書銘があります。
上部には阿弥陀種子、中央に「奉再興矢剱大明神一宮遷宮郷中繁栄祈所」、右に「下総国葛西庄奥戸新田宮職宝蔵院法印海運」、左に「寛永六年九月二十五日遷宮致之導師上小松正福寺訪印空バン」とあります。
葛飾郡は近世初期に「下総国」から「武蔵国」に変わりますが、これは寛永6年において、まだ葛飾郡が「下総国」に属していたことがわかる資料です。

板絵着色裸参り絵馬額
この絵馬額には、右端に水盤舎、左上部に斜め右向きの社殿、その間には明神鳥居と太いごぼうじめ(しめ飾りの一種)を渡した樹木2株、右寄り上部に末社1字が描かれています。
参道には40人余の男が裸姿で社殿に向かい、左下の池では5人の男が禊をし、そのうちの1人は袋入りの神宝の剣と思われるものを持っています。右上には現在は判読できませんが「奉献」と書かれていました。
祈願の内容は明確ではありませんが、禊の意をこめた裸参りのありさまを示しています。

どれだったのかな?
よくわかりませんでした。
普段見られないところにあるのかな???













◆新奥戸




今回はこの橋を渡って向こう側(江戸川区側)に行きました。


隣の橋(名前がわからない)

この隣の橋が貨物の専用線?になっていて、
たまたま走ってきたのをパチリ。












上一色天祖神社



 旧上一色村の鎮守で、もとは神明社と称しました。祭神は天照大神経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづち)を祀っています。創建年代は不詳です。 この神社では昔、盛大な裸祭りが行われていました。天保年間(1830~1843)江戸に疫病が流行した時、病気退散のため始めたと言われています。その様子を伝える板絵額が神社内に奉納されています。

■板絵額
神社拝殿の中に八枚掲げられています。「裸参り図」は2枚あり、1枚は歌川国得(うたがわくにとく)筆、もう1枚の作者は不明ですが、どちらも行事の様子をよく伝えています。そのほか「楠公(なんこう)父子の図」(勝川春樹(かつかわはるき)筆)、「伊勢参り図」、「加藤清正朝鮮の役の図」(文政3年奉納)、「行旅の図」(国得筆)、「天照大神図」、「兵士等伊勢参り図」(葛飾北俊(かつしかほくしゅん)筆・明治28年)があります。通常は公開されていませんが、例祭日(10月15日)など拝殿が開く日に拝観できます。


庚申塔


参道入り口












上一色




この橋を渡って葛飾区側に戻りました。





ちょっと越境しちゃいましたが、また葛飾区に戻ります。
どこが区境なのかよくわからず歩いてました。
川が境じゃない??
次の日記に続きます。




※2021/10/08 レイアウト変更と加筆編集した。