2017/07/17 観音崎 02 観音崎公園散策(戦没船員の碑等)

観音崎灯台の後は公園内を散策。
小高い山全体が公園になっていて、坂道も多かったです。



こんな感じです(w



◆洞窟




行基というお坊さんが諸国修行の途中この地に寄り、この洞窟に住んで人々に悪さをする大蛇を退治し、鵜羽山権現として祀った・・・・・。
ということでいいかな?
字がよく読めません。




◆砲台跡




写真のような砲台の跡が4つ残されてます。
弾薬庫もありました。




明治17年6月27日に完成。
24加砲6門と弾薬庫がつくられたとのことです。





◆トンネル

このようなトンネルが数か所あり、一応全部通れるらしい?
関係者以外は入っちゃダメとか書いてあるトンネルもありましたが、
特にバリケードなどありませんでした。


このトンネルは海の見晴らし台に行く途中のトンネルで、
特に注意書きなどありませんでした。
というか、これをくぐらなければ行けません(w




◆戦没船員の碑




第二次世界大戦や海難事故の犠牲となって海洋で失われた、8万余人の船員の霊を慰め、かつ永遠の平和への願いを込めて設けられました。


と、あります。










この錨は、大正13年に神戸高等商船学校の練習船として建造された帆船進徳丸2518総トンの左舷錨であります。
進徳丸は戦前4本マストの帆船として活躍しましたが、昭和18年航海訓練所の所属となり、20年兵庫県二見港において空襲を受け擱座(かくざ)しました。
その後、汽船練習船に改装されて昭和37年まで就航しました。
この間31万海里に及ぶ帆走航海と20万海里の汽走航海の輝かしい歴史を有し、世界に雄飛する幾多の船舶職員を育てましたが、昭和42年からは財団法人進徳丸保存会により青少年の海洋訓練施設として神戸商船大学構内に保存されております。


ちょっと読みずらいですね・・・。




「その後の進徳丸」

神戸商船大学構内に保存されていた進徳丸は、平成7年1月17日、阪神・淡路地方を襲った大震災により、設置地盤が崩壊したため、老朽化していた船体は解体撤去されることになり、平成8年2月、多くの人々に惜しまれつつ、その波乱に満ちた生涯を閉じました。

解体された進徳丸の船首とマストは、神戸商船大学の「進徳丸メモリアル」に残りました。


解体されちゃったのですね・・・・。
見てみたかったなあ。








日本から東南アジア方面が描かれてました。




陛下も来られたみたいです。





◆舩守観音跡

このページ一番上の「洞窟」のことですね。




なんでここにあるんだろう?
謎です。





蚊に食われながらでしたが、楽しい散策になりました。
公園の半分巡ったかな?
残りはまた今度、涼しいときに来ようと思います。